『26.     Put Hand Up 』







また、桜の舞う季節がやって来た。



俺は大学生活も、バイトも恋も、変らず順調にやっている。


唯一変ったことといえば、この生活に春姫がいないこと。



でも、残酷なことにそんな生活にも慣れた始めた。




「はっ?!まだキス止まり?」


浩志と京子は声を揃えて言った。



「おま…いくら何でも遅いって!中学生じゃないんだから」


「アツヤって案外奥手なんだね」



まったく二人とも言いたい放題だ。



今、俺たちは陽の当たる裏庭で昼ごはんを食べていた。



あれから美保ちゃんとはいろんなところにデートしたり、毎日メールをしている。




「そろそろセカンドステップだよ。アツヤ」


京子が俺の肩を叩いて言った。


「俺はお前らと違ってスローでも問題ないんだよ!」


俺は美保ちゃんが望むときに、望むようなことをしてあげたい。



「ところでお前らはどうなんだよ。何か浮いた話はないのかよ」



俺が話題を二人に向けると、二人はお互いの顔を見合わせた。


「じつはさ、俺たちもう一度付き合うことにしたんだ」


「っは?!」



突然そんなニュースを聞かされ、俺は驚いて持っていたお茶を落とすところだった。



「良かったじゃないか。浩志」



俺は浩志を見て言った。


浩志はあんなに京子と戻りたがっていたので、俺は嬉しかった。



「まあな」



浩志も照れ笑いをした。





そんな時だった。



俺の携帯が鳴った。


「もしもし」



出ると、両親からだった。



珍しいなと思ったが、どうも様子がおかしかった。



「どうしたんだよ…え?分かった。すぐ行く



電話を切り、俺は午後の講義を浩志に代返してもらうように言った。



「別にいいけど、どうしたんだよ」


浩志は訳がわからないという様子で言った。



「ハルカが階段から落ちたんだよ!詳しくは分からないけど危ないらしい…俺今から病院行ってくる」



俺はそう言うと、俺は学校のすぐ近くでタクシーを拾い、病院へ向かった。




病院に着くと、待合室に健一がいた。


落ちつかない様子で立ったり座ったりしている。



「健一!ハルカは?」



話し掛けると健一はホッとした様な表情をした。



「今、治療室にいる。なんかハルカは陣痛が始ったから病院へ行こうとしてつまづいて転んだらしいんだけど、その時に破水してしまって…」



「は…破水?!」


俺はまったく意味が分からなかった。



「谷崎さん(健一の名字)のご家族ですか?」


主治医が挨拶した。



「谷崎さんですが、破水してからずいぶん時間が経過しているため、母子ともに危険な状態です。後は、彼女の力に任せるしかありません。私達は全力を尽くしますんで」



詳しく話を聞くと、どうやらハルカは破水してからしばらく動く事ができなかったため、お腹の中の水が外へ出てしまったらしい。



病院に運ばれた時には意識はなかったそうだ。



「ハルカを助けてください。お願いします」



健一は主治医の白衣を掴んで叫んだ。



俺もその後ろで汗ばむ拳を握り締めていた。



「手は尽くします。後は、彼女の生命力にかけるしかないのです」



主治医はそう言うと、分娩室へ入って行った。



ハルカは今、待ちに待った赤ちゃんを産む。



なのに、なんでこんなことになるんだ?



健一も俺も両親も、ただ祈るしかなかった。





電話でハルカはとても嬉しそうにもうすぐ赤ちゃんが生まれると話していた。



俺だって自分の事のように嬉しい。



だって、本当に念願の赤ちゃんだからだ。



ハルカはたくさん苦労して、やっと赤ちゃんを授かった。



たくさん辛い思いをして、たくさん話し合って。



ハルカは最初は怖がっていたが、今は前に進もうと頑張っているのだ。




静かな病室の中、看護婦の足音だけが聞こえる。



その音以外は何も聞こえない。



でも、微かだが、気配がする。



小さな声も聞こえる。



『大丈夫じゃ。姉は助かる』



「春姫?」



その声は春姫の声に似ていた。



そして、





「オギャー!オギャー!」



静かだった病院に赤ちゃんの泣き声が響いた。



「谷崎さん」


主治医がやってきて言った。



「おめでとうございます。元気な女の子です」




ハルカは女の子を産んだ。


健一は半分涙目の目をこすりながら分娩室へ入って行った。



俺たちもその後を追った。




「健一。アツヤ」



そこには元気なハルカと赤ちゃんの姿があった。



「ありがと」



ハルカは見えない誰かにお礼を言っていた。



ハルカは今日お母さんになった。



「もう!あんたは最後まで心配かけて」


と、両親はカンカンだった。





落ち着いたので、俺はハルカのマンションに寄って着替え一式を持ってくることになった。



まず、一端自分の家に帰ることにした。



玄関を開ける事は今だに慣れない。


いつも迎えてくれた人がもういないのだから。



でも、俺は今日言わなければいけないことがあった。



そのために家に寄ったのだ。



「春姫」


返事がないのは分かっている。



でも、俺は春姫が封じてあるお札の前に立ちお礼を言った。



「ありがとう。お前なんだろ?ハルカを助けてくれたの。あの時の声。春姫なんだろ」


やはり返事はない。



暗い部屋の中、俺はどのくらいの時間お札とにらめっこしていたのだろう。





何人かの人が帰る音を玄関のドア越しに聞くことが出来た。


この部屋はたくさんの思い出を俺にくれた。



その中で俺が成長した事がたくさんある。



悲しい思いもしたし、悩んだ事もした。



楽しく笑い合ったことも。



その中に確かに春姫はいたんだ。



今はもう、その姿を見ることはできないけれど、でも、春姫はいた。



一緒にテレビを見たり、夕日を見たり。


春姫は楽しそうに俺の話を聞き、まるで本当にここに居るみたいに存在していた。



春姫は自分が水子だから、幽霊だからということに劣等感を抱かなかった。



自分を反面教師にして、俺に正しい道を教えてくれた。




俺は、俺以外誰もいない部屋の中で、ずっとお札を撫で続けた。




『お主を助ける事がわしの生き甲斐じゃった』



姿はないが、俺のすぐ側でその声はした。


まるで、春姫と初めて初めて会った時のようだった。



『分かっておった。あれはお主が悪いのではない。お主がわしのことを考え、そして、出した答えだということ、分かっておる。わしは大人気なかった。お主がそのことで悩み、苦しんでいたのにわしは自分のことばかり考えていた』



俺は「そんなことない!」と反論したかったが、黙って聞く事にした。



『わしはお主と離れたくなかったのじゃ。でも、それはわしがこの世から逃げるということじゃ。お主は優しい。だからわしはお主に依存し、甘えることで逃げていたんじゃ』



俺は春姫の言葉を聞きながら、ひとつ、またひとつと、涙を流した。



「違う。依存していたのは俺のほうだ。いつも春姫に頼ってばかりだった。春姫は悪くなんかない。春姫がいてくれたから俺は、こうして、大切な人を失わずに済んでるんだ。春姫のお陰なんだぞ」



俺は叫んだ。



『何を言う。わしは何もしておらん。お主の力じゃないか。お主の与えてくれたチャンス。わしは大切にしようと思うぞ。ありがとう。お主といた時間はわしの宝物じゃ』



そう言うと、春姫の気配は消えた。



静かな部屋が残った。



春姫のいないこの部屋を、俺は一回ゆっくりと見回した。



春姫と一緒に座ったアイボリーのソファー。



春姫のために買ったペンギンのぬいぐるみ。



壁には春姫の好きな夕日の写真が飾られていた。




春姫だけがいない、春姫と過ごした部屋がそこにあった。



「春姫」



俺はそうっとお札を剥がした。



大人気ないとは分かっていたが、お札を握り締めて泣いた。




春姫の笑顔。


泣き顔。


スネた顔。



嬉しそうな顔。



頭に思い浮かぶのはそればかりだった。





次の日、俺はハルカの荷物を持って病院に向かった。



そういえば気になることがひとつあった。



春姫の言った“チャンス”だ。




病室に着くと、ハルカと健一が赤ちゃんをあやしていた。



「ハルカ。タオルと着替え、適当に選んだけど」


「あっ!サンキュー。アツヤ。あんたも抱っこしてみなよ」



そう言って、ハルカは赤ちゃんを俺に差し出した。



俺はまだおぼつかない手で赤ちゃんを抱いた。



暖かくて、柔らかい赤ちゃんだ。



そのとき、



『アツヤ』



春姫の声がした。



「春姫?」


思わず声を出してしまった。



「春?おしいな~アツヤ君。この子は“夏芽”っていうんだよ」



ハルカの赤ちゃんは夏芽ちゃんというらしい。



春姫はどうやら夏芽ちゃんに生まれ変わったらしい。



なるほど、右の頬に春姫と同じほくろがあった。



「夏芽。アツヤ気に入ったみたいだよ。寝ちゃってる」





ハルカは夏芽ちゃんをベッドに寝かせると、分娩室であった不思議な出来事を話し始めた。



「あのね、あまり意識がないからうっすらとしか覚えてないんだけど、あの時、すごく痛かったんだけど、なんか不思議と徐々に痛みが無くなっていったの。したら今度はアタシの周りが明るくなっていったの。すると、上から雪見たいのが降ってきて、アタシは両手を上に上げてその雪を取ろうとしたの。そしたら意識が戻って赤ちゃんが生まれたわけ」



健一も不思議そうにその話を聞いていた。



俺には分かる。



それは春姫たちの魂だ。



でも、言わないでおいた。




絶対信じてもらえないから。












はい。



次はいよ②最終話です。




バイバInBan。