どこかで遠慮してしまったり避けてしまったりするから人間関係が希薄になることはわかっているのだが出来ない。今の現状に多少の満足感があるからだろう。会社でもこれ以上面倒な人間関係を見たり上司の嫌なところを見ると自分はきっともっとネガティブになって引きこもって目の焦点が合わなくなるだろう。

自分の苦手なことがここではちょっと多すぎる。。やり取り一つ取るにも気を遣う時もあるしなんだか伝わってないなあと思いつつもそのままにしてしまうこともある。数少ない話せる人とも愚痴を言わないので吐口がない。自分の知らない世界が大きすぎてちょっと疲れた。周りがみんな敵に見えてしまう。そんな僕でもいまだに仲良くしてくれる前職の方もいるし友人もいる。仕事関係だけがあまりにも寂しすぎてどうにかしないと。。。でも難しいのが知りすぎてもきっとさらに辛い思いをすることになるんではないか感じる。

 

 

過去の嫌なことばかり思い出したりお酒を無理やり飲んだり、何をするわけでもなくただひたすらスマホをいじったり。。

自分のペースで自分の領域は守りつつ気兼ねなく人とふれあいたまには笑う。それくらいの余裕は持ちたいと考える。

親にだって言いたくても言えないことはある。これをいったらブチギレてしばらく口を聞けなくなる。。みたいな。でもいくら家のこととはいえあまりにも常識的に外れていたり世間一般では違うことがあればそこは少し辛くてもいったほうがいいのかもしれない。変化をするのは大変だが現状維持していても意味のないことも多くある。自分が変わるか相手が変わるか環境を変えるかでしか変わる大きなチャンスはそうない。

アラサーと言われる32歳にもなるといろんなことがなんとなくだが見えてしまうことがある。仕事だとこのくらいの力量でこのくらいの時間だな、とかご飯屋さんに行くとこのくらいの量食べるともたれるな、とか旅行を決める時このくらいの時間なら疲れないな

とかそういった日常のことから将来このくらいのお金は稼げるかな。とか貯金はこのくらいでこれくらい使っても問題ないなといった先のこともある程度はわかってくる。無理をして何かを大きなことを成し遂げるというよりは確実に安全に進んでその先にある小さなものを掴むのが自分には合っているのかもしれない。あまり仕事中もプライベートも悩みを相談したり愚痴を言ったり励まし合うといったことが少なくなってしまったのでどこかで本当はしたい大きな夢や欲望を見ることがなくなって平凡な方にながされているのかもしれない。難しいのは最後決めるのは自分で正解も不正解もないことだ。極端な話何もせずただただ何もしない生活をしたければしたって今したっていい。道で仕事を頑張っている人をみても、若い学生を見てもなんの刺激も受けず自分のしたいこと何もしないことを突き通したっていい。でもやはりどこかで他人と比べたり羨ましいなと思ったり嫉妬したりすることで自分の力量やスキルを磨くと僕は思う。自分1人だけの人生といってもサービス業の方や友人、知人とは話すことがあるのだからさすがに堕落しすぎた生活をしているとどこかで本当に地獄を見ることになる。小さいころは一生懸命走って転んで痛い。と感じることも大人になると転びそうだから手を抜こう。というどこか効率の良い、少し冷めた感情が増えてくる。その感情が大きすぎると今後地獄を見ることになってしまうのではないかと感じる。1人になりすぎずかといって意見を聞きすぎずいいバランスで生きないとなんのための人生かわからなくなる