


思い付きやからまだ寺内町に住むかはわからないけど調べてて
杉山邸のそばが一ついいところがあって見に行く
不動産屋行って寺内町の物件聞いたらレオパレス勧められて。
『あっそっちは興味ないです』って言ったら『若いのに変わってるねぇ』って言われた。こっちからしたらあんたの方が変わってるよって感じね。
まあ『変わってる』ってこと自体そういうものだなぁって思いましたとさ
地元で根付いて寺内町や地元で表現して試行錯誤することにしたいと悩むワタシ=この日記、です。
武術は強さという絶対があるけど、
舞踊の絶対性はその場と身体…
その絶対性自体に対する美にまつわる感覚には人間の絶対性はあると思うわけで…
山登りはゆっくり登らないと味わえない
それとどうかかわるか、
それを通して地元の普通の人、市民とどうかかわるかが大切だ
ちょっと難しくなってきました(笑)
町はぼくは信頼していない
『オシャレ』や
『エコ』とか
『群れる』
と言う言葉に関する魅力に溢れている。良いとか悪いではなく
田舎町だからできること、
それはシンプルな生活と滅私から始まって地元を美しいおもしろいと感じ愛することかもしれない
人間は誰もが特別だから誰も特別ではないという、
個人に対するとてつもない孤独から逃げたくない
人間のおごりには負けたくない
やっぱり『自分は天才や』ってのと、『対したもんじゃない』、っていう自分に否定的な目の両方を持ちたい
そろそろ向き合わないと本当には成長できない
無というのは有り得ないことで、無になろうとすることが大切。
無になろうとすることは視覚なり何らかの部分が覚醒してくること、
感性の一部が開かれること。
無ではないが、究めて自然に沸き上がるものが必ずある。
無意識は現実的には死以外なく、
生きている以上、
意識は何処かに非常に集束されるだけである。
即ち、
思考やこだわりを持つよりまず無になろうとすることで沸き上がるものを素直に引き受けることが大切だ。
これはある本から読み取って考えたことだが、仏教の思想に近いのか実際に聞いてみたい。
何か仏教の教えと世界の民族の自然に得た知識などの年月を経て得て受け継がれてきたものにヒントがあるなぁと思うこのごろ
そのうち時期を見て、寺内町で路上ダンス(殆ど寝転んだり立ったりするだけ)をしてやろうと企んでます。
動かないのがいかにおもしろいかは日常に潜んでいると思う。
僕的にはリアル夏目漱石の坊っちゃんを想像してます。
教師じゃなくて役所だけど…
最後に、半分世を捨てる、
ってより携帯や電子機器を捨てる我友からの影響ハンパなし。
有り難い、僕も頑張る、応援してます。