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日曜日は原チャで堺・さやま・富田林をゆっくり周った



最終地点の石川でヨガの雑誌読みながらヨガやったり、ぼーっとしてたら…


野宿欲にかられてきました。なんもないって素晴らしいけどホントになんもなかったらこの日記もないし、いろんなことに感謝



土曜日は京都でコンテの公演見たのだが…う~ん



何が幸せか



そんなことも考えてしまう年頃なのかもしれません




子供のころは友達が集まれば何をするかなんて決めなくても楽しく遊べた。


思春期くらいから同じ何かをするために集まるのが友達で、言葉の意味が変わる様だった、その友達ってのは凄い奇跡的な人のように感じてたから孤独だった





川の音を聞く


大空を見上げる


空を立体的に見ることができるか


杉本なんちゃらの海の写真を思い出す


何千年前の人と同じ風景を見ることができるか?


そんな大それたことで無くても、十年前高校生のときの風景と同じものを見ることができるのか?


できたとしてもなにもないけど感覚として凄まじい揺さぶりがときにある


そんなもんだ


人間の活動や作品なんてちっぽけでそれをやったら偉いわけじゃないだろう



ただ、縁あっていろんな要素を共有することになった人間や地球やらたちと共にいかに良く生きるか



まわりの人間を助けることは自分自身を助ける唯一の方法かもしれない


(赦すってのもそういうことだとおもう)


そういう活動をしたいなぁ




とりあえず川で静かにする


親指ピアノ鳴らす




喋らないのがときにけっこう好き


川と山と人間と幸せ


何が本当に人間のこころや魂を癒し鎮めるのか?



ぼくはヨガレッスンや部屋の中ではシャヴァーサナが出来ないんだが、大空の下、石川でならできるのは素敵なことだ



町づくりは自然と共にあるべきだと思った一日