このタイトル!口に出して三回繰り返すと深い意味があるような気がして来る。大抵三回も繰り返すと意味深く聞こえるのかも(笑)



クオリア正直行くかかなり迷ったけど行ってしまいました。


実はちゃんとは初対面のれいこさんに会えたのが一番嬉しかった(*^_^*)

ダンスがどうとかよりいろんな意味で可愛かった(笑)

やっぱり結婚して欲しい

写真には写らない美しさを愛してます




クオリアはジャズって言ってたけど


踊るための音楽って辛い



静かなジャズや踊れやしないジャズ、インプロがクラブでかかったら刺激的だ


何もかからなくてもいいくらい



息をする空間は流動体だと思う。


ぐにゅぐにゅ形を変える


身体も流動体





あるがままがあり人が息をする限り主観もあり、その全くの平面を立体的に見るのが『実相を見る』ということ



ダンスにはリアリティが必要。


クラブは音が飽和状態の飽食セッション


与えられる大量の音にくたびれる


笑顔になるのにもリアリティ


緊張感にもリアリティ

愛にも


狂気にもリアリティ


おもしろいのはなにかよりも

今回は楽しいのはなにか



ぬるいです


あまりにもダンスがつまらないんで自分一人クラブワークショップしてみました。



ワークショップとは
実際に試してみつける作業


その時場がスペシャルな会場


まず閉じてみる


すると


感性が開く




『見る』


立体をみる。

我々はいつも画面や文字のような平た~い平面をみてしまいがちだ。



でもほんとは人間は一つ目の偏狭怪物でなく、目が二つついていてそれは二倍にするのではなく立体化するためのもの。



精神的スリル
誰かひとりを見続ける


岩下さんWSで何か制限をとフォーカスを与えられ、みんな身体的制限をするなかぼくは岩下さんを片時も離さず十分間見続けた。

殆ど動かないし困ったことに動けないのに、凄い汗をかき息が切れた。




まわりの景色をあるがまま取り込み引き受ける

意外に歪んだ自分と歪んだまわりの人間とあるがままのその場に気付く




あまりにも音が飽和受動的でとめどなくて怖くなりました。


あ~なんなんだ





『生命体としてある』


命の光のような流動体


強まるし弱まる


障害者より不自由に


老人より不自由に


子供より無邪気に自由に



ねじを一つ一つ緩めて行く


すなわち


『自由とは不自由であることを自ら決めること』


ぼくは不自由という自由を抱え込み、海へ飛び込んだ。




セッションって『関係性』


遠慮なんかしてたら楽しくも面白くもない

こいつ本気なんだ!!

身の危険

ちょい怖いくらいじゃないと


こけたら飛び掛かるし、嫌がらせるし、びびらせるくらいじゃないと、流動しない


開いた人間は閉じた人間に体験される。


野田秀樹の竹のワークはおもしろい


同じステップをするのがセッションとはいかにもおもしろくない

予定調和を揺さぶる


合議制でなくそれぞれのやわらかい独裁


受け入れるが支配されないで支配する


支配したければまず受け入れる引き受け引き込むのが繋がりのある関係性


それぞれがそこにある生命体でないとおもしろくない


演劇を学ぼう




なあなあは楽しくもない




楽しいって『わー楽しい~ハッピー幸せ』ってのは大抵『楽しい』じゃないと思う。


イチ個人の

イチ価値観共有の集団の

小さな物語には


ワクワクはあるけど。それは始まるまでの話


すぐにその楽しいという状態にはならないし、持続力がないのでは?それがリアリズム?


突進むしんどさも切り捨てる厳しさも楽しい、スリルと対峙する怖さも楽しいへの可能性をはらんでいる



Kodoku?



むしろ必要ではないか


当たり前だ






別にぼくが変なわけでもないと思う


『変人』なんてみんなだから意味のない言葉


実相を見て試していきたい





迷うなら立ち止まる。そして動きの流れを感じそれにのっかるように、ただただ歩く



実際歩けていないとしても無と主観をクリアに感じて創作の精神に引き戻し引き揚げるためにダイブする