WSはやっぱ身体で試す感じ





音をかけない空間で踊る


フォーカス(集点)あったりなかったり



誰が上手い下手なんかあるわけがない




場所を踊る


閉じても開いてもない存在の場所やものに対しての人間の無力さ


それあるがままが踊り


ぼくの今の答えは幽体離脱の先


自分の根源と、もの・考え・世の中の殆どのものとは、本当は全く関係がないということ



自分がまず閉じたらそこからはじまる気がする



じっと見つめる動かない身体は自分のものだろうか?


まあそうだろう。



自分が閉じても場所が開くわけではないが、ありのままの空間自体が感じられる五感が開く状態になる気がする。



気がするから仕方ない





無意識に動きたくなる感じにまかす


掴めたと思ったりするけど、なんか変な記憶に頼ったり見栄はったり思考したりしてしまう。





開高健の『人間の最大の敵は自分自身の心』ってのを身を持って感じる瞬間。



でもやってたら掴めてきたりする。






空間に表出する象徴・シンボルの話



対峙すべきものはなにもない。



自分の心から発生する欲や見栄、不安、物語などとは対峙すべきではなく。



そこに表出する振動(発生する音)と身体、に対峙するべきだと思う。


(匂いや空気、場所を含めたものはあるがままの空間であるだろう)




振動(音)と身体


出てくる音と音を出す身体が表出するシンボル


目的の無

心の無

表出するのは身体と振動





空白にあるがまま表出したい身体



動きたくなる瞬間は心やイメージ・音からでなくても身体から必ずやって来る






なにもない空白に書き入れるのには決断が必要。


誰かに不快感を与えたり、自己愛に反したり、不必要なものを足してしまったりする覚悟…


静寂で一歩踏み出せば


自分の次の一歩がその空白に現われるから




躊躇する


ちゅうちょ【躊躇】
[意]決心がつかずぐずぐずすること。




その立ち止まり迷う瞬間、息をする自分の存在を確認する



迷うなら動かないのを良しとしたエヴァ的セカイ系



でも心ではない要因で動きたくなるときは必ずくる



次の一歩はやってくる




呼吸をしている限り人はモノではなく、何の意味・理由もなく動きたい何かがあると思う。


本当にある


主語のない世界




主語は私なのか?


わからない


幽体離脱の先


身体性の本で読んだ『サンス』っていう方向性が自動的に生まれる感覚をかなり感じた



読んだり考えたことが試せたWS




動くことにより取りこぼすあるがままの空間は自分なりの時間でしか感じ取れない。


とぼくは思う。



あーこの日記伝わらん自信がある






いっしょに参加した人と仲良くなった。





興味のある人は僕にワークショップの依頼をください



同じ身体を使っている以上伝わらないとは思ってない私


天気さえよけりゃどこでも0円でできます