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ことばの意味は変化する。


変化を感じないこころは憂鬱になる。


ことばは四次元。


詩も時間が固まると憂鬱。


言葉自身がその意味が変化しているのを忘れさせるというか、隠してしまう性質を持っていると思う。





山口

山口駅と湯田温泉周辺しか行ってないけど、かなり良かった。


YCAMが理想郷ですね


ばかでかい図書館と一帯の情報芸術センター、二階建ての展示スペースに劇場、併設してケーブルTV、で広い芝生はフットボールコート二面くらいとれるよ


山口県立美術館は堀木エリ子さんでした。

和紙マスキングテープとポスト池田となるうさぎのぬいぐるみ型バッグ購入




グルーポ・ヂ・フーア

H3


単純に良かったよ



でもダンス村を飛び出るような才能ではないような気もした。





ダンス村を出ていくには、ジョンケージは演劇をやってるといって音楽をしたし、チェルフィッチュはダンスと言って演劇をしたり逆も然り…





音楽を作っていると言い切ってダンスするのがヒップホップの本質かなぁ思う。



ヒップホップやストリートダンスのことについては考えたくないけど今回は考えてしまった。でもかつてなく整理できたようだ。




教養ってのは素晴らしいと同時に哀しいもので、


原体験を教養以前、活動を通して知識から得た考え方を教養以後とすると…原体験の儚さったらかけがえのないものだ。


でもやっぱりいましか感じ得ないので教養のある人になりたい。



ヒップホップの原体験


フリースタイルセッションVHSのブレイクダンス、その空間を作るDJ…


ヒップホップは自分達の音楽を作っていただけだった。


実験的だった


それは…未完成で余白があり、単純に俺ならもっとこう踊る。こう作る。こう語る。こう歌う。の一番やり易く、かつ自我エゴの出せる場だったんだろう。

だれでも参加できてかつ自分でしかできないものがあるような仕組みは素晴らしい。


その余白に向かうこころが僕には本質だと感じる。


余白には様々な才能が現れそれにたいして身体をくねくねさせた


形式の落ち着いた変化のなくなった今は消費物


子供が入れ替わり入って去っていく。


ヒップホップは内容が変わった。


ヒップホップをやって、あの原体験以上にあるものはいま思えば、踊ることだったり、音やその他それ自体の本質だったに違いない。



ヒップホップの本質は生き続けていて、露出部分ではそうは見えないものだからそうは呼ばれていないのである。





まあ人に何を言われようがそう考えた今週末だからご勘弁を…



もうヒップホップは考えません(たぶん笑)