世田谷パブリックシアターに板東玉三郎+鼓童公演を昨夜、見に行った。 元々見に行く気もなかった僕の背中を押したのは、初日の幕が開いた後、「今回の鼓童は違う」という声を小耳に挟んだからだ。
当然のことながら僕の周りにも鼓童ファンは多い。 ただ、公演は見ながらも、苦言を呈する人がやたらと多い。 だからそんな声を聞きながら僕は、黙っていた。 僕もしゃべると、危ないからだ。
ここ何年かの舞台を拝見していて、「吉利さん頑張ってるな。栄一もエライな~、千恵子さんも容子さんも頑張ってるな。」などとは思っていた。それは充分に感じていた。でも‥‥全体としては‥‥心が動かなかった。 熱くなれない舞台。 公演を見終わると、真っ先にホールを出ていく僕だった。
今回は、どこが違うのか? これについては、この公演が終わったところで、たっぷりと書きたい気分(この公演は、東京でもまだ6月4日まで。その後、京都に移動して6月の25日まで続く。いやいや凄い)なので、今日は短く書きたい。
僕の心の扉を開けたのは、二部。
「これはナンの踊りなのか?」始まりは一瞬判らなかったが、「そうか、これは‥‥」と、鬼太鼓(おんでこ)の舞いと判った時だった。 その時、三階のバルコニーで見ていた僕は、自然に席を立っていた。視界に鉄柵が入らない、後ろに他の席がない場所に移動して、身を乗り出すように見ていた。
その後も、大償神楽、弓ヶ浜、などリメイク版が続くが、この熱い気持ちへの扉を開いた最初の鍵は、鬼太鼓だった。 「そうだ、これなんだよ。」と僕は心の中でつぶやいていた。
近年、太鼓が上手い和太鼓チームはやたらと増え、もちろん、いろんなジャンルや演者とのコラボレーションでも巧みな太鼓ソリストも増えた。 ところが、これだけ叩いて、そして踊れる、太鼓チームは他にない。 伝統芸能の底力を疎かにせず、それを鮮やかにアレンジして魅せた。 今回の舞台は、躍動感に溢れている。
衣裳も、いい。半纏パッチを初めて脱いだのではないか? 衣を借りて、皆が活き活きしているように、映った。
円陣を組んで、その中で繰り広げられる、太鼓と舞い。そこに千恵子さんが登場する。 今回の千恵子さんの舞いも、これまでと違って見えた(一部の吉利さんにも驚いたけれど)。 熱かった。想いが。
そう見えたのは、やはり玉三郎さんの演出なればこそだったか? 前回の演出とは、打って変わった、最後まで熱く、動のある、一人一人の配置が見事。
これまでも、鼓童はメンバー一人一人の実力は素晴らしいと思っていたけれど、全体の公演となると、僕はもどかしさをいつも持っていた。 今回の25周年記念公演は、アマテラスの構想の中で、玉三郎さんが作り出し織り込んだ世界が、皆を一つに包み込んだに見えた。 これはもう、文句がつけられない。
鼓童には、役者が揃っている。駒がある。 この荘厳なアマテラスの世界に遊ばせた、この次は、一転して、 土にまみれた、
例えば「ドサ回り旅太鼓一座の物語」を大衆演劇風に演じる(掛声も自由に掛けられる)世界を見せてくれたなら、僕はもっと仰天するだろう。齊藤栄一!頼むぞ!
公演が終わって、ロビーに降りていくと、出口に並んでお客様を送っている大井さんの姿を見つけた。 今夜は、ひとこと言って帰りたい気分になる。 「きょうのは、良かったわ~。初めて拍手したわ」
いい25周年記念公演だった。ハンチョウもきっと見ていて、喜んでいるだろう。
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