前編をまだお読みでない方は、先に前編を読んでからにして下さい ----------------------------------
「ケンサクどうした~?」
「いや、ダメです。ちょっと動けません」 「・・・・?」
「どうも脳しんとうを起こしたみたいな感じで‥‥‥」
「大丈夫か~?」
「こんなこと、研修所以来です」
「研修所って‥‥‥鼓童の研修所時代か~?」 佐藤健作にも鼓童の研修所時代が六ヶ月あったそうですが、いったいそれは何年前のことだ?
僕はもうその時は、鼓童にはいなかったから‥‥‥10数年前の話だろうし、それ以来、こんな事になった事はないらしい。それほど大変な事が、佐藤の体に起こったのか‥‥‥。
佐藤は、一般的には鋼鉄の体のイメージがある。僕も最初は冗談を言っているのだと思っていた。 ま、でもここはもう少し休むことにして様子を見ていたら、それでもまったく動けない様子で、僕にも「佐藤が本当にダメだといっている」という事が判ってきた。
倒れたままだけど、でも声を掛けると返事はあった。
僕一人、じっとしていてもしょうがないので離れた場所で少し練習をした。
しばらくして、佐藤が顔をまだ少し青ざめたまま、体を起こした。
このままで今日はまだ終わるわけにはいかないのだ。
下駄は履かずに太鼓も持たず、曲の構成の確認だけをやる。 でもこれで、この日はもう帰ることにする。
まだ完全な夜空にはなっていない。少し青みが残る空だ。
日が長いなと思っていたら、この日が夏至だったと後で知る。
翌日、まだ完全回復ではないもののケンサクも動けるようになり、最後の稽古日を迎えた。
あまり長くやってもしょうがない。 集中してできるだけ短く終わらせようと、動きの確認を何度もやり、実際に太鼓を抱える時間は極力短くした。
できれば午前中にめどを付けたいと思い演っていたが、軽く全体通し(舞台演目の最初から最後までを通す)を終えたのは、昼をだいぶ過ぎていた。 車に自分の太鼓の積み込みをして、上の蕎麦屋で遅い昼飯を食べ、僕は横浜まで走らせた。
佐藤の稽古場での時間は、僕に懐かしい感覚を呼び起こしていた。
ヒンヤリとした広い空間、床の感触、風の音、草息、虫たちが闊歩する姿‥‥‥何よりも時計がない、時の流れ方が新鮮であり、懐かしかった。
この稽古合宿から帰って三日目に、門仲天井ホールで公演があった。
今、公演を終えてみて一番印象に残っている演目が、一本歯下駄太鼓だ。初演でもあるので、当然かもしれないが。
これは足を踏まなければ音がしない。
足を上げて、床を踏み鳴らす。
この地を叩く行為が、気持ちいい。
忘れていた。
足を踏むことを。踏ん張ることを。
今の生活の中からは消えてしまったけれど、人間には本来この行為が生活の中で必要で、その動きを体は求めるように出来ているのではないだろうか? 「気持ちいい、気持ちいい」と体が言っている。
それに太鼓を抱えてこの下駄を履き、太鼓と床を鳴らせば一瞬にして汗まみれにもなる。
太鼓と下駄の、この稽古はまだまだ始まったばかりだ。 このスタイルは面白い。
太鼓を床に置くだけで、横からバチを振り叩くスタイル(三宅)を初めて見た時、コロンブスの卵的衝撃だった。 でも、太鼓を抱えて一本歯下駄で床を踏むスタイルも、近年の中ではかなりの衝撃かもしれない。
このスタイルだって、誰でもすぐに真似はできる。
ただ、体力、バランス力が必要だし、そしてヒザへの負担もかなりなものなので、故障がなく続けられればと、条件が付く。 この踏ん張りを次回、皆様の前でお見せできるのはいつのことか判らないが、ぼちぼち続けていたいと思う。
ガラン!
佐藤の稽古場で、疲れて二人して床で横になっていた時、僕は初めてこの音を耳にした。
不意に聞こえた木の実が落ちる音は、何かの贈り物だったような気がしている。
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