さて、不可思議なものを普通に受け入れていたうてなも、中学校を卒業する歳となった。


ある日、生徒達は担任教師から、さほど大きくない細長い紙を渡された。


卒業にあたり、各自志を立て、それをその紙片に書くようにということだった。


一筆箋にも及ばない、ひと言箋だ。


収めるのはタイムカプセルならぬ、その名も立志の塔だ。

卒業の日、石でできたその立派な塔の前で、母と担任教師に囲まれて撮られた写真があったはずだ。


母校の管理教育は凄まじいものがあった。


そして、そこで教育された生徒は飼いならされた羊の群れだった。


そんな生徒たちが、立志の塔にひと言志を書き残すよう指導され、多くの生徒は「努力」「根性」「やればできる」など、当時の教師が喜びそうなことを書いていた。


そして十年も経てば、自分が書いた言葉など、すっかり忘れてしまっただろう。


だが、うてなは覚えていた。


今、振り返ると、その言葉は他人が見ればひどく突飛なものに見えたことだろうと思う。


だから、覚えているのだろうか。

それとも、そこに込めた思いが強かったせいだろうか。



理由は定かではない。


が、とにかく、時間が経つほどに、思い出すほどに、そのことに対して奇異な思いを強めていったのだ。


うてなは、その小さな紙切れに、

「ノアの方舟」

と、書いたのだった。


続く