今回書かせて頂くのはキリスト教に関する記事ですが、私自身がキリスト教徒ではない事も有り、
キリスト教の外側にいる人間から見た、只の一個人の感想、というスタンスで書かせて頂きます。
繰り返しますが、これは特定の宗教に対するクレームなどでは御座いません。
只の一個人の感想です。
まずキリスト教というのは、過去に世界中で数々の犯罪を犯してきた悪の宗教です。
今現在のキリスト教は兎も角としても、彼らが前科持ちの宗教である事は事実です。
実際の所、キリスト教のスタート地点は内部侵略の為の先遣隊、というのが実態だと思います。
日本だって、キリスト教には人道的に問題の有る行為を散々やられてきた過去が有る訳です。
キリスト教が日本人に対して行ってきた数々の犯罪行為の結果として、
彼らの居場所が今の日本には無くなった、という事ですね。
だけどその反面、第二次世界大戦では日本は彼らに対して大きな借りが有るのも事実です。
ですから一概に敵とか味方とか言い表せない相手では有るな、と思っています。
ですがその「 内部侵略の為の先遣隊 」というのは、
あくまでも初期のキリスト教の裏の目的であって、
現在のキリスト教の裏の目的は「 白人至上主義 」の実現の為のツールかな、と感じています。
過去に白人達がやってきた負の歴史を隠す為もあるのでしょうが、
近年の白人は異常なまでに差別主義者と呼ばれる事を避ける傾向にある。
その為、唯一の「 有色人種の先進国 」である日本を叩く事に必死になっている。
先進国の日本が相手なら、どれだけ叩いても人種差別と呼ばれる事はない事を知っていて、
更に「 上である白人が、下である有色人種を叱り付けて導いてやってる 」という構図を、
日本人が相手の時に限って、人種差別と叩かれずに作り出す事が出来る。
それでも直接日本を叩くのが怖い白人種もいるらしく、
そういう時に彼らはキリスト教を持ち出して日本を叩いてくるのです。
本当は「 白人こそが神である!」と叫びたいんですよ。
でもそれは不味いから、自分達の上に神様を作って、神の言葉をツールにして日本を攻撃する。
何時も白人が日本を叩く時に利用しているクジラのプロパガンダとかは裏に特亜がおりますが、
彼らに乗せられてる白人の側からしても、
白人至上主義と上手く結び付いて機能しやすいのかなと見ています。
まあでも、今回はそういうキリスト教の宗教犯罪といった大きな話は致しません。
ちょっと書いてみただけです。
今回書こうとしている話は、私が子供の頃にキリスト教というものに対して感じていた、
キリスト教に対する個人的な違和感、という実に小さな御話をさせて頂きますよ。
まず故イエス・キリスト氏のシンボルって、
十字架に張り付けられた状態の姿で飾られておりますよね。
で、これは私が子供の時に十字架に張り付けられた故キリスト氏を見て感じていた事なのですが、
誰もあの十字架のシンボルを見て「 かわいそう 」だとは思わないのですかね?
例えば、もし教会に自分の子供を連れていった時に、
「 お父さん、あの人かわいそう・・・ねえ、降ろしてあげて!」と言われたらどうします?
つまり子供から「 かわいそうだから十字架から降ろして助けてあげて!」と言われてしまったら、
その場にいる大人達は子供の優しい気持に対して一体どのように対応致しますかね?
仮に故キリスト氏が「 手枷、足枷を嵌められて殺された幼い少女 」だったと致しましょう。
その場合、宗教のシンボルに手枷足枷の少女像を使うでしょうか?
だけど実際にそんな生々しい少女像を前にしたら、
作る側も祈る側も抵抗感が半端じゃないと思いますよ。
だから使わないと思います。
でもキリスト教では十字架に張り付けられた男性のシンボルを使っている。
使うのは良いとしても、その事に対して誰も何も言わないのかな、と素直な疑問を持った訳で。
いや、一応は私も知っておりますよ?
あの十字架は、受難や復活の象徴を意味している、という事くらい。
まあ他にも様々な意味が込められているのかも知れませんが、
浅学なもので余り詳しい事は存じません。
ですが、たとえ「 十字架 = 肯定的なシンボル 」として信徒さん達が捉えているとしても、
私が言いたい事も分かって頂けると思います。
こういうシンボルを使う事になった「 事情 」とか「 意味 」とか「 由来 」とかではなく、
人間の「 良心 」の問題として考えた時にこのシンボルは本当に正しかったのかな、と。
たとえ大人達から見れば既に当たり前になってしまった光景だとしても、
まだ知識の無い小さな子供から見れば全く違う光景に見えているはずです。
と言うか、本当に何の知識も持たない人があれを見たとしたら、
ぶっちゃけ「 十字架に張り付けにされた男性を前に人々が祈りを捧げる光景 」って、
「 悪魔に生け贄を捧げるカルト教 」に見えていても不思議じゃないとは思いませんか?
いや客観的に見た場合の話をしているのですよ?
本当に何の知識も持たない人が見たら、という前提の話なんですから。
日本人にも分かりやすいように例えるならば、
もし仏様が十字架に張り付けられていたり、
もしお地蔵さんが十字架に張り付けられていたとしたら、
その時、私達日本人は一体どんな反応をするのだろう、という事ですよね。
もし仮にですが、
もう既にこの世にはいない御本人が今の自分の張り付けられた姿を見たらどう思いますかね。
口では信者と名乗っている人々に対し、敵意を感じ取るのではないでしょうか。
だって自分の事を貼り付けにして飾っている人々に対して好感なんて持てますか?
誰か一度でも良いから彼自身の視点に立って考えた事の有る信者の方はいないのですか?
みんな自分達の事ばかりを考えてこのシンボルを作ってしまったのでは有りませんか?
そうやって考えれば考えるほど、
やはりキリスト教の感覚が私には違和感を感じるものに思えてくるのです。
良い悪いの話じゃないですよ。
あくまでも違和感を感じるぞ、という話です。
と、記事に書いてはみたものの、
私は外国の文化に対して内政干渉(宗教だけど)するつもりは毛頭有りませんので、
この記事は只の個人の感想、只の個人の問い掛けですけどね。
それも日本人の一人としての感想では無くて、まして神道視点からの感想でも無くて、
只の個人、只の残月としての感想ですので悪く思わないで下さいね。
※ 話は変わりますが、韓国って実はキリスト教の人口が一番多いんですよね。
カトリックとプロテスタントを合わせれば、ですが。
カトリックとかプロテスタントとか言われても興味のない人には分からないかも知れませんが、
例えばソニー製のゲーム機のユーザーとか任天堂製のゲーム機のユーザー数を合わせると、
日本人の趣味で一番多いのがTVゲーム機のユーザーですよ、みたいに考えてくれたら良い。
ちなみに、初めて朝鮮にキリスト教を持ち込んだのは、皮肉な事に日本人だったり致します。
それにしても不思議というか不自然ですよね。
神道の日本と、本質的に宗教が存在出来ない中国とに挟まれているくせに、
なぜ韓国だけがキリスト教を採用しているのか。
韓国は性犯罪率が実質世界一の「 神など信じない国 」の筆頭です。
もし神様を信じていたら、自分がレイプしたい時に神様の教えが邪魔になるので、
韓国の男と宗教は相性が非常に悪い。
韓国の男にとって神様の存在というのは、
残念ながら犯行のブレーキ役などではなく犯行の際の邪魔者でしかない。
では何故キリスト教なのかと言うと、そこには幾つかの理由が存在します。
↓
1・白人の宗教だから取り入れた。
要は宗教版の小中華思想の白人バージョンですね。
これにより白人と一つになれると考えたんです。
2・キリスト教の起源を主張する事で、白人から特別視されると計算した。
3・白人国家に移民した時などに、
韓国人として接近しても白人からは相手にしてもらえないが、
同じキリスト教である事を強調すれば白人に媚びやすいと考えた。
4・韓国の国内事情などに関係しており、
入信する事で個人として何らかのメリットが発生する。
( それが何かは分かりませんが、韓国人は自分が一番得する方向に動く癖が有るので。)
主にこの4つの理由でしょうか。
学者から見れば「 韓国でキリスト教が普及した経緯はそうじゃないぞ 」と思うでしょうけど、
ですがこういう事は資料「 だけ 」を調べて考察するより、
民族の精神性で判断する方が正解なんですよ。
だから普通の学者だと却って正解を見落とします。
相手は朝鮮人だという事を御忘れなく。