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着 想 ノート

管理者 / 残月


かなり以前の記事にちらっとだけ書いた記憶が有るのですが、
PS4のネットサービスの中に、PS4のゲーム等を販売する通常のマーケットプレイスの他に、
確か「 音楽聞き放題 」みたいな有料サイトが有ったはずでした。

ですが今見ると無くなってしまったようですね。
と言うか、随分と前に無くなってた気が致します。

まあ、ビジネスとして失敗したという事なんでしょうね、きっと。


この手のサービスはどうしても出たり消えたりを繰り返しがちですが、
サービスがバラバラのままなのも失敗する原因の一つじゃないかと思うのですよ。

ですから例えばPS4の通常の有料会員の上にもう一つ別の有料会員を用意して、
通常会員のサービスに加えて音楽サービスも聞き放題、
という形にした方が良いのではないでしょうか?

通常会員に月額300円くらい上乗せしたら音楽も聞き放題ですよ、みたいにする訳です。
個別に入会する形だと抵抗が有りますが、
今既に入会しているサービスの延長で入れるなら抵抗は少ないと思うのです。

つまり、もう一つ別のサービスに「 新規で入会 」するのではなく、
今入っているサービスに「 追加料金 」を払うだけで良い形にしてあげる訳です。
つまり現在入会中のサービスの追加オプションとして扱うという事。


もちろん実際には同じソニーグループでも運営する会社自体が違うかも知れないし、
そもそも300円程度じゃ運営出来ないかも分かりませんけどね。
(※300円という金額に関しては、単に抵抗の無い程度の金額を書いてみただけです。)

だけど「 ゲーム 」「 音楽 」「 ビデオ 」等の各種サービスを自由に組み合わせ、
仮に月額1000円くらいで「 オンラインプレー可 」に加えて、
「 音楽を聞き放題 」「 ビデオを視聴し放題 」という事であれば、
追加料金を払っても良いかな、という人も今よりは増えると思うのですよ。

このまま新しいサービスを作っては消して、を繰り返して信用を失っていくよりは、
ずっと健全なんじゃないかと私は思うのですけどね。

店に来るお客様の中には、いわゆるモンスタークレーマーと呼ばれる人種が存在します。
(※お客様っていうか「 敵 」ですけどね。)

そしてこの手の連中は自分の事を神様であると信じて疑わない為、
店員にしろ警備員にしろ立場的には逆らえない事が多いです。
(※神様っていうか「 敵 」ですけどね。)

結局ね、店員も警備員も客より立場が「 下 」だからいけないんですよ。
こういう場合「 目には目を、客には客を 」で対応するのが望ましいと思います。


という事で、普通の警備員の他に「 客のフリした警備員 」を常駐させておくべきかと。

クレーマーが出現したら、
「何々? どうしたの? 店員サンこいつに絡まれてんの? 警察呼ぼうか? 」と間に立ってもらう。

店の関係者が警察を呼んでしまうとクレーマーから店が恨まれる事になるので、
こんな風に同じ客の立場で警察を呼んでもらうのが一番安全でしょうね。

はっきり言って「 俺様は客だぞ!」という脅迫には、
「 俺だって客だぞ!」という上下関係をチャラにする存在がいないと戦えないんですよ。


警備員なんて何の権限も持ってないですからね。
権限も無いし、勇気も無いし、ぶっちゃけ弱いしね。

警備員に「 不審者がいますよ 」と教えてあげたって、
態とゆっくり準備してから、態とゆっくり歩いて現場まで行く奴ばっかですよ。
現場に行くまで態と時間を掛けて、その間に犯人が居なくなるのを期待してる。


ちなみにサクラの警備員は見るからに強そうなオジサンとかよりも、
80過ぎの老人の集団とか、男子高校生グループみたいな感じの方が良いかも知れません。

理由は・・・特に無いんですけどね。
何となくです。

日本はインターネットによって目を覚ました代表的な国家の一つだと私は考えています。
反日マスコミが作った日本国民専用の檻から飛び出す為に絶対に必要だったのがインターネット。

つまり日本では「 国民が、TVや新聞と戦う為のツール 」としてインターネットは存在する。

しかし面白い物で、
この世界にはインターネットを「 TVや新聞の仲間 」として扱っている国が有るのです。

韓国です。


私が思うに韓国国民のふざけた所って、
インターネットは本来、マスコミが隠しているニュースを探し出す為に使う物なのに、
韓国国民のヤバイ所は、TVで見たニュースをそのまま拡散する為にしか使ってない所だと思う。

要するに、国家とマスコミと国民が揃いも揃って一つの価値観しか持っていないのです。

マスコミから差し出されたニュースに対し、
韓国の国民は自分じゃ何も調べないし、国民同士で議論もしない。

マスコミに対して一丁前に文句だけは言うくせに、
文句を言う国民のやっている事も結局はマスコミと完全に一致した言動に陥ってる。

だって韓国って国は、
マスコミの報道内容と国民の世論が何時も完全に一致してるじゃないですか。

つまり韓国の国民は、本来ならTVと戦う為のインターネットを、
単なるTVのニュースの拡散装置として使っているという事です。
となると韓国の国民は実質「 準マスコミ 」ですよ。

私達日本の国民から見た時に、
韓国のマスコミも韓国の国民も全く同じ存在に見えている理由がこれですよね。
だからこそ「 政府やマスコミの事は無視して私達国民だけでも協力しよう!」とならない訳です。

韓国の国民には、
一体何の為にインターネットが誕生したと思っているんだよ、と言いたい。

あいつら嬉しそうに「 ネット大国 」とか言ってるけど、ネット要らねえじゃん、韓国。
TVと新聞だけで用が足りてるじゃん。


確かに韓国も北朝鮮も中国も、
国内ではネットが規制されていて本当のニュースが見れなくなっている可能性も有りますが、
でもあいつらは何時も日本の掲示板を見に来ているじゃないですか。
だから日本経由で本当の情報を「 知ってる 」はずなんですよね。

日本側の見解を日本のネットで見てるのだから、
後は「 日本人の言ってる事が本当かどうか 」を調べれば良いだけの話ですよ。

なのに韓国人の反応は何時だって、
「 韓国のマスコミと違う事を言っているから、日本人は嘘をついている!」と。

毎日毎日、毎日毎日、日本のネットで日本国民の見解をチェックしまくっているくせに、
見るだけで何も調べず、得体の知れない自国マスコミの報道内容を国民総出で大歓迎。

普段から日本のネットを全く見てないのなら、
「 私達は本当に何も知らなかったんです!」と日本人に対して許しも乞えるでしょうが、
見てしまった以上はそれを調べる義務が発生します。

日本人が何時も韓国の嘘に対して論破しているように、
彼らも日本のネットで日本人の見解を見た以上は学術的に反論する義務が有ったはず。


そしてこの事は韓国に限った話では有りません。

アメリカなんてインターネット発祥の地なのに、
何故あれほどまで馬鹿が多いのか不思議で仕方が無いですよ。

「 クジラがーっ!」
「 太平洋戦争がーっ! パールハーバーがーっ!」

あいつらって、こればっかりじゃないですか。
クジラが何だよ、言ってみろよ。
それと太平洋戦争じゃねえよ、大東亜戦争と言えボケ。


それにしても、一体どれだけの国がインターネットの正しい使い方が出来ているのでしょう?

さすがに日本だけという事は無いと思うのですが、
もしかしたら私が考えている以上に少ないのかも知れませんね。

大人になってからは一度も乗った事が有りませんけど「 竹馬 」って乗物が有るでしょう?
ローラースケートが横方向の乗物ならば、竹馬は縦方向の乗物、と言った所でしょうか。

で、たまたまネットサーフィン中にその竹馬の写真を見た時に思い付いたのですが、
あれを軍事用に利用出来ないものかなと思いまして。


実際に使用するのは2本じゃなくて1本で構いませんので、
細くて軽くて頑丈なパイプ(※竹じゃなくて)で作ります。

パイプの長さは2mくらいで、携帯する為に30cm程の長さに伸縮可能にしておきます。
(邪魔にならないようなら銃剣みたいに銃に取り付けておいても良いでしょう。)

そして高い壁や、高い位置に有る窓や、ちょっとした高さの崖とかが有った時に、
このパイプを本来の2mの長さまで伸ばして、
更に折り畳んでおいた足を乗せる為の足台も展開して、
その足台に片足を乗せて高い場所を覗いたり、高い場所に上がったりするのに使用する。
(兵士が直接上がらなくてもカメラを付けて高い場所から撮影したりとか。)

ちなみに足台ですが、竹馬みたいに一本に一つだけ、ではなくて、
一本の中に50cmくらいの距離を離して計3つくらい左右交互に付けておきます。
上がり下りがしやすいように。


また、単独行動じゃなくて他の兵士もいるのなら、
数人分のパイプを繋ぎ合わせてから地面に突き刺して立て掛けて全員で押さえて固定すれば、
5m以上の高い場所に移動したりとかも出来るのではないでしょうか?

それに2本使えば川だって渡れますしね。


基本的には上記のような携帯竹馬として使うのが普通でしょうけど、
棒状という形状なので棒術を始めとして色々な事に利用出来そうな気が致します。
服を乾かしたりとかね。

万能パイプ、みたいな感じでしょうか。



※ 足台に関してもう一つ。

  パイプに折り畳む時に邪魔にならないように、
  普通のフラット形状では無くて、湾曲した長方形にするのが望ましいです。
  つまり京都の和菓子の「 八ツ橋 」みたいな形ですね。

  あれでしたらパイプにぴたっと合わせて折り畳めそうなので。



※ ついでに「 救助用の竹馬 」というのも書いてみたいと思います。
  竹馬を川でのレスキュー用に使えるのではないだろうか、と。


  例えば、急流に呑まれた人を泳いで助けに行くのは非常に危険な行為ですが、
  そうかと言って川岸から浮輪を投げても溺れた人には中々キャッチ出来ないと思うのですね。

  それだったら溺れた人の近くまで竹馬で行くのも手かなと思うのです。


  もちろん普通の竹馬じゃ有りませんよ。
  川の中で移動する際に、片足を上げている間も流されず安定するように、
  只のパイプ状の竹馬でなく、パイプの下部がカメラの三脚みたいな形状の竹馬にするのです。

  後は、パイプの形状自体を円筒じゃなくて流線型にして、
  水流への抵抗を少なくする感じでしょうか?


  でもこれって実際どうなんでしょうね?
  川が氾濫した時に竹馬で川に入ったら流されずに済みますかね?
  流線型のパイプなら水圧も小さいので普通に歩けそうな気もするのですが・・・。

  こればかりは実際にやってみなければ分かりませんけどね。

真冬に着る厚手のジャンパーと、
冬が終わりかけの頃に着る薄手のジャンパーを両方持っておりますが、
何故かは知りませんけど、薄手の物はデザインがださい物が多すぎる気がする。


まず真冬用の厚手ジャンパーは、
大きな襟(えり)、絞り込んだ袖口、カバーの付いた左右のポケット、等々、
全体的に立体感の有る物となっている事が多い。

ですが薄手ジャンパーの方は、
襟が小さく、袖口も真っ直ぐで、ポケットもカバーの無いスリット状の物が多くて、
全体的に立体感が無くてペシャンコな物が多い。


厚手か薄手かというよりも、
それ以前にデザイン的に薄手の物はださいのが多くて着る気がしないんです。
ださい理由は上に書いた通り、立体的じゃないからだと思います。

チャックの付いている位置とかに関しても厚手の物の方がセンスが有るのが多いですしね。

例えば薄手のやつはチャックがむき出しで、
更にジャンパーの一番下からスタートするタイプが多いように思う。

でも厚手のやつは、
チャックがカバーで隠れていて、少し上の位置からスタートする物が多いと思う。

調べて回った訳じゃないから本当の所は分かりませんけどね。

それと上にも書いた通り、薄手のジャンパーはスリット型ポケットが多い為、
その所為で手袋を落として無くす人もいますしね。


だから薄手のジャンパーはデザインや機能面(ポケットの仕様等)に関しては、
厚手のジャンパーと統一してくれると有り難いな、と思ってます。
つまり薄手のジャンパーのデザインを厚手のジャンパーと同じにしてほしい。

ジャンパーだと分かりにくいかも知れないので「 甲 」で例えてみますが、
装飾品が何一つ付いてなくて つるっとした甲は何だか弱そうだしカッコ悪いけど、
装飾品で飾られて全体が立体感の有る甲だと強そうだしカッコ良いですよね。
ジャンパーに関しても同じ事だと思いますよ。

今回書かせて頂くのはキリスト教に関する記事ですが、私自身がキリスト教徒ではない事も有り、
キリスト教の外側にいる人間から見た、只の一個人の感想、というスタンスで書かせて頂きます。

繰り返しますが、これは特定の宗教に対するクレームなどでは御座いません。
只の一個人の感想です。



まずキリスト教というのは、過去に世界中で数々の犯罪を犯してきた悪の宗教です。
今現在のキリスト教は兎も角としても、彼らが前科持ちの宗教である事は事実です。

実際の所、キリスト教のスタート地点は内部侵略の為の先遣隊、というのが実態だと思います。
日本だって、キリスト教には人道的に問題の有る行為を散々やられてきた過去が有る訳です。

キリスト教が日本人に対して行ってきた数々の犯罪行為の結果として、
彼らの居場所が今の日本には無くなった、という事ですね。

だけどその反面、第二次世界大戦では日本は彼らに対して大きな借りが有るのも事実です。
ですから一概に敵とか味方とか言い表せない相手では有るな、と思っています。


ですがその「 内部侵略の為の先遣隊 」というのは、
あくまでも初期のキリスト教の裏の目的であって、
現在のキリスト教の裏の目的は「 白人至上主義 」の実現の為のツールかな、と感じています。

過去に白人達がやってきた負の歴史を隠す為もあるのでしょうが、
近年の白人は異常なまでに差別主義者と呼ばれる事を避ける傾向にある。

その為、唯一の「 有色人種の先進国 」である日本を叩く事に必死になっている。

先進国の日本が相手なら、どれだけ叩いても人種差別と呼ばれる事はない事を知っていて、
更に「 上である白人が、下である有色人種を叱り付けて導いてやってる 」という構図を、
日本人が相手の時に限って、人種差別と叩かれずに作り出す事が出来る。

それでも直接日本を叩くのが怖い白人種もいるらしく、
そういう時に彼らはキリスト教を持ち出して日本を叩いてくるのです。

本当は「 白人こそが神である!」と叫びたいんですよ。
でもそれは不味いから、自分達の上に神様を作って、神の言葉をツールにして日本を攻撃する。

何時も白人が日本を叩く時に利用しているクジラのプロパガンダとかは裏に特亜がおりますが、
彼らに乗せられてる白人の側からしても、
白人至上主義と上手く結び付いて機能しやすいのかなと見ています。


まあでも、今回はそういうキリスト教の宗教犯罪といった大きな話は致しません。
ちょっと書いてみただけです。

今回書こうとしている話は、私が子供の頃にキリスト教というものに対して感じていた、
キリスト教に対する個人的な違和感、という実に小さな御話をさせて頂きますよ。


まず故イエス・キリスト氏のシンボルって、
十字架に張り付けられた状態の姿で飾られておりますよね。

で、これは私が子供の時に十字架に張り付けられた故キリスト氏を見て感じていた事なのですが、
誰もあの十字架のシンボルを見て「 かわいそう 」だとは思わないのですかね?

例えば、もし教会に自分の子供を連れていった時に、
「 お父さん、あの人かわいそう・・・ねえ、降ろしてあげて!」と言われたらどうします?

つまり子供から「 かわいそうだから十字架から降ろして助けてあげて!」と言われてしまったら、
その場にいる大人達は子供の優しい気持に対して一体どのように対応致しますかね?


仮に故キリスト氏が「 手枷、足枷を嵌められて殺された幼い少女 」だったと致しましょう。
その場合、宗教のシンボルに手枷足枷の少女像を使うでしょうか?

だけど実際にそんな生々しい少女像を前にしたら、
作る側も祈る側も抵抗感が半端じゃないと思いますよ。
だから使わないと思います。

でもキリスト教では十字架に張り付けられた男性のシンボルを使っている。
使うのは良いとしても、その事に対して誰も何も言わないのかな、と素直な疑問を持った訳で。


いや、一応は私も知っておりますよ?
あの十字架は、受難や復活の象徴を意味している、という事くらい。

まあ他にも様々な意味が込められているのかも知れませんが、
浅学なもので余り詳しい事は存じません。

ですが、たとえ「 十字架 = 肯定的なシンボル 」として信徒さん達が捉えているとしても、
私が言いたい事も分かって頂けると思います。

こういうシンボルを使う事になった「 事情 」とか「 意味 」とか「 由来 」とかではなく、
人間の「 良心 」の問題として考えた時にこのシンボルは本当に正しかったのかな、と。

たとえ大人達から見れば既に当たり前になってしまった光景だとしても、
まだ知識の無い小さな子供から見れば全く違う光景に見えているはずです。


と言うか、本当に何の知識も持たない人があれを見たとしたら、
ぶっちゃけ「 十字架に張り付けにされた男性を前に人々が祈りを捧げる光景 」って、
「 悪魔に生け贄を捧げるカルト教 」に見えていても不思議じゃないとは思いませんか?

いや客観的に見た場合の話をしているのですよ?
本当に何の知識も持たない人が見たら、という前提の話なんですから。


日本人にも分かりやすいように例えるならば、
もし仏様が十字架に張り付けられていたり、
もしお地蔵さんが十字架に張り付けられていたとしたら、
その時、私達日本人は一体どんな反応をするのだろう、という事ですよね。


もし仮にですが、
もう既にこの世にはいない御本人が今の自分の張り付けられた姿を見たらどう思いますかね。
口では信者と名乗っている人々に対し、敵意を感じ取るのではないでしょうか。

だって自分の事を貼り付けにして飾っている人々に対して好感なんて持てますか?
誰か一度でも良いから彼自身の視点に立って考えた事の有る信者の方はいないのですか?
みんな自分達の事ばかりを考えてこのシンボルを作ってしまったのでは有りませんか?

そうやって考えれば考えるほど、
やはりキリスト教の感覚が私には違和感を感じるものに思えてくるのです。

良い悪いの話じゃないですよ。
あくまでも違和感を感じるぞ、という話です。


と、記事に書いてはみたものの、
私は外国の文化に対して内政干渉(宗教だけど)するつもりは毛頭有りませんので、
この記事は只の個人の感想、只の個人の問い掛けですけどね。

それも日本人の一人としての感想では無くて、まして神道視点からの感想でも無くて、
只の個人、只の残月としての感想ですので悪く思わないで下さいね。



※ 話は変わりますが、韓国って実はキリスト教の人口が一番多いんですよね。
  カトリックとプロテスタントを合わせれば、ですが。

  カトリックとかプロテスタントとか言われても興味のない人には分からないかも知れませんが、
  例えばソニー製のゲーム機のユーザーとか任天堂製のゲーム機のユーザー数を合わせると、
  日本人の趣味で一番多いのがTVゲーム機のユーザーですよ、みたいに考えてくれたら良い。

  ちなみに、初めて朝鮮にキリスト教を持ち込んだのは、皮肉な事に日本人だったり致します。

  それにしても不思議というか不自然ですよね。
  神道の日本と、本質的に宗教が存在出来ない中国とに挟まれているくせに、
  なぜ韓国だけがキリスト教を採用しているのか。

  韓国は性犯罪率が実質世界一の「 神など信じない国 」の筆頭です。
  もし神様を信じていたら、自分がレイプしたい時に神様の教えが邪魔になるので、
  韓国の男と宗教は相性が非常に悪い。

  韓国の男にとって神様の存在というのは、
  残念ながら犯行のブレーキ役などではなく犯行の際の邪魔者でしかない。

  では何故キリスト教なのかと言うと、そこには幾つかの理由が存在します。
  ↓

  1・白人の宗教だから取り入れた。
    要は宗教版の小中華思想の白人バージョンですね。
    これにより白人と一つになれると考えたんです。

  2・キリスト教の起源を主張する事で、白人から特別視されると計算した。

  3・白人国家に移民した時などに、
    韓国人として接近しても白人からは相手にしてもらえないが、
    同じキリスト教である事を強調すれば白人に媚びやすいと考えた。

  4・韓国の国内事情などに関係しており、
    入信する事で個人として何らかのメリットが発生する。
    ( それが何かは分かりませんが、韓国人は自分が一番得する方向に動く癖が有るので。)


  主にこの4つの理由でしょうか。

  学者から見れば「 韓国でキリスト教が普及した経緯はそうじゃないぞ 」と思うでしょうけど、
  ですがこういう事は資料「 だけ 」を調べて考察するより、
  民族の精神性で判断する方が正解なんですよ。

  だから普通の学者だと却って正解を見落とします。
  相手は朝鮮人だという事を御忘れなく。

昔、非常に狭い公道を歩いている時、
そろそろと近づいてくる車に道を譲ってあげた時に、 (※不審車両とかでは無くて。)
突然クラクションを鳴らされて驚いた事が有ります。

私は車には乗らない人なので車のルールやマナーを存じませんから、
そのクラクションがいわゆる「 サンキューホーン 」と呼ばれる行為である事を後から知りました。
要するに「 道を譲ってくれてサンキュー 」という感謝の意味で鳴らすクラクションですね。

(※今ネットで調べましたら、クラクション本来の使用目的以外に当たり「 違法行為 」との事。)


しかし私にはその手の知識が無かったものですから、
そのクラクションに対して当然このように受け取ります。
  ↓
「 おいおい、せっかく譲ってやったのに何だよそのクラクションは。
  "おせーんだよ、さっさと どけよ!" とでも言いたいのか?」


あのクラクションはね、車に乗らない人には分からないので止めた方が良いです。
サンキューホーンという知識が有る事が前提だから知らない人には全く伝わらないですよ。

直感で分かるような合図でしたら知識無しでも伝わるでしょうけど、
あのタイプの音は直感ではむしろ「 怒ってる 」と受け取られるはず。


そもそもクラクションって1種類くらいしか音を出せないのですよね?
だったら複数種類の音を出せるようにしたら良いと思うのですよ。
(※もちろん法律の改正も合わせて。)

・通常(=従来)のクラクション。
・感謝表明用のクラクション。 (※サンキューホーン専用の音を用意する。)

この2つに加えて、
他にも、

・歩行中の知人を発見した時などに こちらに気付かせる為の呼び掛け用のクラクション。

3つ目は要らないかな?
まあ、取り敢えず書いておきますが。

クラクションの鳴らし分けは複数分のボタンを付ける事で対応すれば良いでしょうか。


もちろん各クラクションの意味を国民が知らなければ鳴らしても意味が伝わりませんので、
義務教育で教えておくなどすれば宜しいでしょう。

「 横断歩道は手を上げて渡りましょう 」とかを教える時に一緒に教える感じで、是非。

既に何度か他の記事の中で書いた事では有りますが、
今回はそれをメインテーマとして書いてみようと思います。
未だちゃんと書いた事が無かったと思うので。


で、何の話かと申しますと、
もうずっと昔からゲーマー達に言われ続けてきた事では有りますが、
「 RPG 」とか「 HP 」とかのゲーム用語に付いて回る問題の一つである、
本来の言葉の持つ意味と現在使用されている言葉の使い方に食い違いが存在する、という話です。

例えば「 HP 」は日本だと「 ヒットポイント 」のイニシャルとして使われる事が多いのですが、
殆どのプレーヤーが漠然としたイメージで、
「 体力 」とか「 耐久値 」とか「 生命力 」のような漠然とした言葉として使用している節が有る。

別にそういうアンケート結果が有る訳じゃないですが、
ネット上をチェックしている限りでは恐らくこの認識で正しいかと思います。

でもゲーマー達って言葉の定義にこだわる人間が非常に多いですから、
掲示板とかでも沢山のゲーマー達が言葉の解釈に関する議論を日々ぶつけ合っている訳ですね。
(何度か見た事が有るのですが、皆様どなたも真剣に議論なさってました。)


私自身は余り言葉にこだわるゲーマーでは無いような気も致しますが、
とは言え、やっぱり改めて冷静に考え出すと疑問に感じる言葉も多いです。

「 ヒットポイント = 体力のイメージが強いけど、
  ヒットポイントの "ヒット" って、意味としては体力の事じゃないよね? 」とか、
「 HPゼロ = 死のイメージが有るけど、スタミナ切れただけで人間死なないよな?」とか、
考えれば考える程に次々と疑問が浮かんでくるのがコンピューターゲームという物です。

(※そもそも体力 = スタミナのイメージが強いですが、実はスタミナの事では有りませんからね。
  体力は身体能力とか抵抗力とかの意味だけど、スタミナというのは持久力の事ですから。)


後は「 RPG 」という言葉も使用方法に問題が生じている代表的な例でしょうね。
これは元々「 ロールプレーイングゲーム 」のイニシャルとしてスタートした言葉です。

その為「 経験値を稼いでレベルアップするシステム 」という、
現在のRPGが持つシステム的なイメージとの間に大きなズレが発生している状態です。

結局、何かの言葉のイニシャルとして考えるからズレが出てくるのですよ。
ヒット、とか、ロールプレーイング、とか、要するに英語な訳じゃないですか。
英語で有る以上は「 HPの "H" は ヒットのイニシャル 」と先に言葉としての意味が存在する訳で。

そして言葉としての意味が存在する以上は、
本来の言葉の持つ意味と違う使われ方をしていればクレームがつく事になる。
ですから思い切って、言葉の意味自体をリセットしてしまうのも手かなと思っています。


例えばHPという2文字ですが、
これをヒットポイントの略として考えるからゲーマーからクレームが出てくる訳ですよ。

ですので、HPという2文字を「 ヒットポイント 」の略ではなくて、
「 エイチ・ピー 」という単なるゲーム用のアイコンとして解釈してあげれば良い。
つまり「 何かの略 」ではなく、何の意味も持たない只のアイコンとして扱うようにする。

意味を持たないので、
クリエーターがその都度、HPという言葉を自分の好きに使ってしまって良い、という事。

読み方自体は今まで通りヒットポイントのままでも構いませんが、
HPという表示に関しては単なるゲーム的な利便性を優先した只の記号として扱うようにする。


例えばの話ですが、
「 剣 」とか「 槍 」とか「 銃 」とか具体的な武器の名前を一つだけ書いてしまうと、
仮に「 剣 」と書いた場合は「 剣 」の事だけを指す事になりますが、
大雑把に「 武器 」とだけ書いてしまえば全ての武器を含める事が出来るじゃないですか。

だからHPとかも細かい言葉の意味を省いてしまい、
何の意味も持たない真っ新なキャンバスとして使えば良いのではないかな、と思うのです。


今回はHPを例に上げて書いてきましたが、RPGやAVGを始めとして全て同じ事ですよ。
何かの略ではなくて単なるアイコンとして使ってしまう。

FPSもそうです。
「 FPS視点 」と書くとクレームつけるゲーマーが多いけど、
FPSという言葉を単なる意味のない純粋なジャンル名として扱う事で「 FPS視点 」でもOKにする。


そもそもHPに限らずゲームに出てくる用語という物は、
一番最初にそのゲーム用語を作ったクリエーター以降のクリエーター達の間では、
昔から今に至る長い年月に渡り漠然とした使い方をしてきたと思うのですよ。

で、今現在もその時の名残で漠然としたイメージのままで使われている訳です。

ずっと野放しになっていた事を今更になって全部説明しろ、という方がナンセンスだと思う。
だったら只のアイコンという事にして全部リセットした方が手っ取り早いんじゃないでしょうか。

だからこれからも、
HPはHPというアイコンとしてゲームごとに料理人がその都度好きに解釈して使えば良いと思う。

そうやって単なるアイコンという事にしてしまえば、
やろうと思えばロボットの耐久値とかにもHP表示を使用する事が可能になるじゃないですか。
もちろん人間以外に使うのは違和感が有るから普通は避けるとは思うけれど。

RPGって「 逃げる 」のコマンドは有りますけども、
この記事のタイトルに有るような「 逃がす 」というコマンドは見た事が有りません。


そもそも「 逃げる 」にしろ「 逃がす 」にしろ、
 ↓

・全員で逃げる。
・一人で逃げる。
・一人を逃がす。

・・・等の選択肢が有っても良さそうなものです。


選択肢ごとに成功率を表示して、
パーティーが全滅しそうな時には誰か一人を全員で逃がす、とか出来ても良いのでは?



※ 後は他にも・・・。
  ↓

 「 戦う 」と「 防御 」に続いて「 パス 」というコマンドはどうかなと。
  自分のターンを任意で飛ばしてしまえるコマンドです。

  使い道としては、例えば「 HP回復 」を使うボスとの戦闘中にパスして、
  次のターンで連続攻撃して一気に叩き潰す、とか。

サラダを食べる時って、
普通はドレッシングを掛ける人とマヨネーズを掛ける人とがいると思います。

でもマヨネーズはドレッシングと違い、
サラダの内側に浸透せずに表面にのっかったままですよね。
だから表面しか美味しく食べられません。


ですからドレッシングみたいにトロトロのマヨネーズを作れば良いのでは? と思います。
もちろん単に水で薄めるとかじゃなく、味が薄くならない前提で作るのですけど。

もしかしたら味だけの問題じゃない可能性も有りますけどね。
あの食感も含めた上での美味しさなのかも知れませんから。


・・・と、サラダ食ってて思った。