主に保守系のブログを巡回中に、
10~20台の若い方が書いてらっしゃるブログに辿り着く事が御座います。
まだ20才位の方とかがブログの記事中に難しい単語を大量に並べていて、
最後に「 この本がオススメですよ!」と外国の哲学者や経済学者の本を紹介する。
そういう感じのブログとかも見た事が有りますね。
こんな私のしょうもないブログとは違い、
如何にも頭が良さそうな人が書いている感じのブログですよ。
お若いのに頼もしい、日本の将来を宜しくね、とか丸投げしたくなる反面、
実は読んでいて妙に不安になる文章が多いというのが本音です。
不安になる、とはどういう事かと言いますと、
そういう方の書いてらっしゃるブログの文章って、
どこまでが御自分の文章で、どこまでが本の受け売りなのかという境目が見えない為です。
境目が見えないという事は、
ちゃんと吸収して自分の言葉に出来ている、という可能性も有るのですが、
文章を読んでいる限りはどうもそうは思えなくて、警戒する気持が生まれてきてしまう。
私は子供の頃は本が好きだったので本を毎日のように読んでおりましたが、
大人になってからは殆ど本を読まなくなってしまいました。
その代わりに毎日インターネットで大量の文字を読んでいる訳ですが・・・。
紙の本に書かれた文章も、インターネット上の文章も、
どちらも同じ活字と言ってしまえば同じ物です。
( ※ もちろん活字と言っても、
プリントアウトしない限りインターネット上の文章は印刷物では有りませんが。)
しかしモニターで読む文章はその殆どが「 横書き 」ですので、
縦書きの国で生まれた日本人の私としては少々勉強しているという実感が得られにくい。
ネットの文章も縦書きなら良いのにな、とは何時も思うのですが、
やはりモニター自体が横に長い為に相性の問題が立ちはだかるのかも知れません。
( ※ いや、紙の本も見開きの状態だと横長になるな・・・。)
・・・そう言えば、電子書籍で小説を読んだ事が無いので分からないのですが、
電子書籍の小説は縦書きなんですかね?
電子書籍端末で読むなら縦書きでも問題ないでしょうが、
横長のPCモニターで電子書籍の小説を読む時も縦書きなんだろうか?
・・・まあ今回の話とは関係が無いので これは置いときましょう。
しかし同じモニターで読む日本語の文章なのに電子書籍だとちゃんとした読書扱いで、
ブログや掲示板の文章だと「 活字離れ 」と呼ばれている印象が有りますね。
随分と可笑しな話です。
細切れのコメントで構成された掲示板は仕方ないとしても、
まともな保守系のブログを大量に読んでいても活字離れ扱いなのは少し疑問に思いますね。
それはそうと話を戻しまして、
私は昔に比べて紙の本を殆ど読まなくなってしまいました。
では本を読まなくなった事で何かしらのデメリットが生じているかというと、
実はむしろメリットの方が大きいのではないかと感じています。
本を読んでいないという事は、
私のブログの中に書かれた文章は本の受け売りではない、という事になりますよね?
つまりこのブログの文章は全て私自身の言葉です。
自分がブログに書く文章を全部、自分の言葉で埋め尽くす事が出来ている、という事になる。
私が本を読まなくなったメリットが有るとしたらこれだと思います。
もちろん本の代わりにネットで知識を得ているのでネットの影響を受けてはいるでしょうけど、
ネットの影響というのは紙の本に比べて危険度は小さい気がするのです。
だってネットに書かれている事って、普通は疑いながら読むじゃないですか。
どこの誰が書いた物かなんて分からない訳ですから。
例えばリンクをクリックして飛んだ先のブログなんて、
管理者の名前を確認すらしないで読む人の方が多いのでは有りませんか?
しかし紙の本だったら著者の名前を必ず見ると思うのですよ。
ぶっちゃけ私のブログだって、私の名前を確認しないで読んでる人が多いと思います。
( ※ 残月です。)
ですからブログとかを読んでそのまま信じる人は余り多くはないかなとも思うのですが、
紙の本に書かれている事は「 本当の事が書いてある 」という前提で読む人が多いと思いません?
これは何故かと言いますと、
紙の本は誰でも出せるという物ではない上に、基本的には有料です。
しかしブログは誰でも書ける上に、無料で読める。
特に図書室や図書館に置かれた物だと、
何となく国家が書かれた内容に対して漠然とした保証を与えているような錯覚を起こしてしまう。
だからなのかも知れませんが、紙の本に書かれた事だと簡単に信じてしまう人がいる。
たとえ書かれている事がどれほどに無茶苦茶でも、
新聞というメディアが長い年月に渡り無条件に信じ込まれてきたのと近いかも知れません。
最初の話に戻しますが、
若い人が難しそうな海外の本を沢山読むのは素晴しい事だとは思います。
ただ、読んでいる人に妙な不安感を与えないように自分の言葉でブログを書くようにしてほしい。
本を良い形で御自分の肥やしにして下さいね。
そうしないと他人の書いた本にしゃべらされているみたいな危うさを感じてしまいます。
そういうブログが実際に多いと感じたから心配して書いているのですよ。
本に飲まれて流されない為にも、
先にある程度自分というものを確立しておくのが宜しいかと思います。
※ 今回の記事では「 紙の本 」を読む事のメリットとデメリットについて書きましたが、
他人様のブログを読む事のメリット、デメリット、というのも色々と有ると思うのですよ。
基本的に他人様のブログをチェックする理由の一つとしては、
例えば「 自分の持っていない知識を手に入れる為 」に読む場合が多いと思う。
となれば、自分よりも頭の良い人間のブログを見た方が知識を得るには手っ取り早い。
ですがね、学者とか政治家とか弁護士とか、
そんな頭の良い人が書いたブログが必ずしも有益な情報を与えてくれるとは限らないのです。
学者が書こうと、政治家が書こうと、弁護士が書こうと、
思想の片寄った人物が書いた文章というのは「 誰が書こうと、嘘は嘘 」なのです。
( いわゆる「 東大出ようが京大出ようが馬鹿は馬鹿 」というやつに近いですね。)
私の場合、
初めて見付けたブログに長居するかどうかを決める時の指標みたいな物が御座います。
仮に、そのブログに書かれている情報自体は有益な物が多そうに見えたとしても、
ブログ管理者の知識量や頭の良さよりも、精神面の成熟度の方を重視するようにしております。
ですから、パッと見は有益な情報だらけに見えたとしても、
精神的に未熟な気配を感じた時には長居せずに立ち去るようにしているのです。
( ※ まあ、私のブログからもこれが理由で立ち去る方が多そうな気が致しますが。)
とは言え、
「 疲労が溜まり、一時的に心が揺らいだ状態の時に書いた記事 」とかなら話は別です。
もちろん、その人物の揺らぎの幅や回数くらいはチェックしますけどね。
余りにも不安定なようなら信用出来ませんから。
で、何を以て「 精神的に未熟 」と判断するのかと言う話ですが。
まず人間にとって一番重要な価値観は「 善悪の価値基準 」だと思うのですね。
ですからブログに書かれている知識の質や量よりも、先にここを確認します。
どれだけ知識が有ろうと、悪人が書いた文章なんて役には立ちませんからね。
良い大学を出たはずの民主党議員が一切日本の役には立たないのと同じ事です。
で、善悪の価値観が定まらない状態で頭だけが良くなった人のブログを見ておりますと、
そのブログにどれだけ優れた内容の情報が置いてあったとしても、
ブログに入った瞬間には「 何も得る物が無い予感 」が走ります。
どれほどに頭が良くても「 正しくない人間 」の言葉からは何も得る物が無い。
正義と正論は全くの別物ですから。
変な例えですけど、
東京大学卒の連続殺人犯から学ぶ事なんて何もないですよね?
頭が良いだけの人間には、本人が思っている以上に大した価値など無いのですよ。
そもそも「 頭の良い人間 」って何なのでしょうね?
電通の社員や民主党議員だって、あれでも東大とか出てるはずなんですよね。
しかし、例えば犯罪の嫌疑をかけられて記者会見に出てきた時の彼らって、
有り得ないほど支離滅裂な言い分けをするじゃないですか?
会見が始まる前のこちらのイメージとしては、
「 こいつらは良い大学出てるんだし、さぞかし優れた言い分けを考えてくるんだろうな!」
と思う訳ですよ。
なのに現実の彼らの口から飛び出てくる言葉は、
小さな子供どころか、団塊世代すらも騙せないような苦しい言い分けばかり。
「 頭が良いんじゃなかったのかよ!? 」と、高卒の私が驚愕する瞬間です。
この言い分けで国民を騙せると本気で思って用意した原稿なのか? と。
あるいは、国民は馬鹿だからこれで充分、とでも思ったのか?
「 馬鹿ほど相手を馬鹿と思い込む 」とも言いますからね。