本を沢山読んで賢くなろう、みたいなフレーズを時々見掛けます。
( ※ この場合は漫画では無くて小説や図鑑とかを指すのでしょうけど、本への差別ですよね。)
TVを見ると馬鹿になる、とは完全に逆で、書物には良いイメージが残っているようです。
活字離れ、は悪い意味で使われるけど、TV離れは良い意味で使われてますものね。
しかし本当に書物には人間が賢くなる為の何かが詰まっているのでしょうか?
そもそも「 本 」とは一体何なのでしょうか。
私は本に書かれている物というのは「 情報 」だと思います。
本の題材がドキュメンタリーだろうがゲームの攻略本だろうが恋愛小説だろうが、
本を読む人の目的は中に書かれている情報を手に入れる事でしょう?
書かれている内容さえ情報として入手できるなら、
その本のジャンルが小説だろうと漫画だろうと関係ないし、
そもそも紙の本を読まずとも電子書籍でもネットでも何でも良い訳でしょ?
情報を送信する側のハードが本だろうと映画だろうとゲームだろうと、
情報を受信する側の人間は「 脳に記憶する 」という一種類の保管方法しか持っていない。
だから紙の本だろうとネットでダウンロードした映画だろうと、
それらを何の為に見るのかというと、本質は情報の入手が目的な訳です。
だから情報を手に入れるだけなら別に「 本 」じゃなくても良いのです。
なのに「 本を読もう!」とやたら呼び掛けるのは何故でしょう?
恐らく「 本を読んで賢くなろう 」というフレーズは、電子書籍の存在は考慮していない。
紙の本という「 器 」が前提になっているものと思われます。
書いてある内容(情報)以上に、何を通して読むのかまでも限定して呼び掛けていると感じる。
( ※ 呼び掛けている本人達は意識していないと思いますが。)
という事は、
求められているのは実は情報を入れている「 器 」の方ですよね。
知識を納めている器の存在を重視している節が有るという事。
書物というのは情報を収納する器の中の一種類です。
紙の本と電子書籍の最大の違いは器の違い。
つまり「 本 」という物は、「 器 」と「 情報 」の二つに分けられるという事です。
紙の本、電子書籍、ラジオ、TV、映画、ゲーム、
これらの違いは情報を納める器の形の種類の違い。
では、手に入る情報に差が無いとしたならば、
器の違いには意味が無いのかというと、私は「 意味が有る 」と思います。
もちろん「 U I 」とか「 操作性 」とかの違いは当然ですが存在します。
紙の本と電子書籍では操作性が丸で違いますからね。
・・・でも他には?
例えば同じコーヒーでも、
コーヒーカップで飲むのとドンブリで飲むのとでは、
どちらで飲もうが果たして違いは存在しない、と言えるでしょうか。
ワインをワイングラスで飲むのと急須で飲むのは同じ?
いや私は絶対に違うと思うのですよ。
「 コーヒーを飲む時はちゃんとコーヒーカップを使って飲みましょうね。」
という呼び掛けから「 マナー 」が生まれるものだと思うのです。
もしも国民がコーヒーをドンブリで飲んで育ったら、
その国はきっと韓国のような国になってしまうとは思いませんか?
少し面倒臭い話かも知れませんけど、
「 コーヒーを飲む時はこの器、ワインを飲む時はこの器を使いなさい 」と細かく定める事で、
国民のマナーが育ち、情緒が生まれる、と思うのです。
だから「 (紙の)本を沢山読もう 」という呼び掛け自体は決して間違っていないと私は思う。
私自身は本の電子書籍化が進むのを望んでいる側の人間ですけど、
それと同時に多様性も残してほしいと望んでいますので、
時代の中で比率が変わってしまっても構わないので、紙も電子も共存して頂きたい所です。