この間の続きです。(5月10日に投稿した続き)



◆夢を抱いて上京 


の李相得(イ・サンドゥク)国会副議長に教育を受けさせるため、家族はソウル・梨泰院に引っ越し、李候補もソウルにやって来た。


金を稼ごうと期末試験だけを受けて上京したため、高校での1等賞と卒業証書を友人が届けてくれた。


大学への進学など夢のまた夢だった当時、李候補は毎日出勤して給料をもらえるサラリーマンになりたかったという。



 共に上京した友人のキム・チャンデさんは「家が狭かったので、わたしの下宿や労働者の宿舎を転々としていた。


しかし、夜遅く仕事から帰って来て疲れていても、翌朝にはいつも自分よりも先に起きて本を読んでいた。


遅く寝て明け方に起きる習慣は、この時身についたのではないかと思う」と語った。



 李候補は「金がなくて中退したとしても、高卒よりは大学中退のほうがましだ」とし、清渓川の古本屋で受験参考書を買い大学受験に挑戦、高麗大学商学部に合格した。


合格の知らせを聞いた当時、梨泰院市場の商人たちが早朝にごみを集める仕事を任せてくれたため、学費を準備することができた。




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◆学生会長から現代グループ神話まで 


高麗大学の友人で大学同窓会長の千信一(チョン・シンイル)氏によると「明博は口数が少なく、健康そうにも見えなかったので、廃品回収でなんとか生活しているとは分からなかった」という。


大学3年の時に商学部学生会長に選ばれ、4年生の時には学生会長職務代行としてデモの先頭にも立った。


懲役3年執行猶予5年を宣告され、西大門刑務所に6カ月間収監されたこともある。


当時の罪状は国家内乱扇動だった。



 李候補と獄中生活を共にした江西区長の金道鉉(キム・ドヒョン)氏は「李前市長は獄中でも快活だった。


もともと口数は多かったが、時局の話よりは“誰が面会に来たのか”“朝飯はうまかったか”など身の周りの話をたくさんした」と回想する。



 そのため大学卒業後は政府のブラックリストに載り就職ができず、当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領に手紙を送って就職問題を解決し、現代建設に入社したというのは有名な話だ。


現代建設に入社後1年目、タイの現場で暴徒から命を奪われそうになりながら会社の金庫を守った逸話や大統領府からの不当な指示にブルドーザーで反抗して京釜高速道路の建設に臨んだことなど、さまざまなサラリーマン神話を打ち立てた。


5年で取締役、12年で社長になった。


李候補の政治スタイルも現代建設で形成された側面が強い。


彼をよく知るある作家は「李前市長は人の魂を食べてしまうかのように掌握するスタイルだ。下で働く立場としては、本当に殺したいほどに憎い」と語る。


現代建設の取締役となった後、1970年に夫人のキム・ユンオクさんと出会い、麻浦に14坪の小さなマンションを借りて新婚生活を始めた。


 夫人と結婚する時に母親が眠っている共同墓地でプロポーズしたというエピソードがある。


李候補は「妻を墓地の近くに待たせておいて、墓の前で1人で母に結婚すると報告したのだが、怖がりの妻が後ろからついて来てそれを聞いたらしい」と説明してくれた