私はずっと「見えないもの」に興味をいだいてきました。
哲学や星座占いが大好きでした。
抽象的な世界であればあるほど、それに価値を見いだし、憧れの対象としていました。
ときどき、英語の本も読むことがありますが、
先人の残してきた、洞察の深い普遍的な格言などを、好んで読んでいたものです。
それに比べて「見えるもの」はあまり好きではありませんでした。
代表的な具体例を挙げれば、
衣食住などが、そうです。
人の着るもの、人の食べるもの、人の住むところ、
そんなものに価値を置いて自分を「飾る」道具にすることに興味がなかったのです。
また、目の前にいる人物の生々しい感情やしがらみなど、具体的な面倒くさいことから逃げてばかりいました。
「見えないもの」と「見えるもの」
「抽象的なこと」と「具体的なこと」。
現代の世界においては「具体的なこと」を仕事にして生活する資金を稼ぐことを「大人になる」という言い方で定義されています。
つまり、抽象的な空想ばっかり1日中考えてるやつは、
「子ども」とか「ニート」という呼び方をされてるわけです。
私はいちおう、このブログの外ではちゃんと仕事をして給料をもらってますが、
このブログの中では、どうやら「ニート」と呼ばれる方の人種らしいです。
その証拠に、このブログでは「食べ物の写真」とか「身近な人物の写真」とか「服」とか
そういう具体的なものは一切登場させていません。
私は抽象的な世界を、せめてこのブログの中だけでも残しておきたいです。
「夢」と「現実」だって、正反対の概念とされてますが、
夢が現実により彩りを与え、現実を補完させることだってありえるからです。
せめてブログを書いたり、読んだりするときぐらいは、
現実という具体的なことを忘れて、
抽象的な夢を見たい。そういう世の中であってほしいです。
音楽という抽象的な美しさに魅せられ続けてきました。
私は30数年後に仕事を退職したら、
東京芸術大学の楽理科に入学して、音楽の研究をしてみたいと思っています。
いつの世の中でも、見えないものに夢をいだける世界であってほしいです。
そして、これから生まれてくる子どもたちにも、
そのように過ごしてほしいです。