ここ半年程、
心の何処かで常に引っ掛かっていた
もう1つの“モヤモヤ”がありました。

それは
「自分は自分、他人は他人」と
「あなたは私、私はあなた」と言う
一見正反対のように思える言葉です。


「自分は自分、他人は他人」とは
○自分と他人を比べる必要は無い。
○他人の目を気にする必要は無い。
…的な意味ですよね。

つまり
「私は私、あなたはあなた」
○別々の人間ですよ。
○理解出来なくて当然ですよ。
…みたいな感じで…。


共感してもらえなかったり
応援してもらえなかったり
受け容れてもらえなかったり
…した時に

私も心の中で
「私は私やから!」と、
強がって来た場面もありました。

けれど、その度に
何故か虚しく
何故か寂しく

物足りなさを感じていたように思います。




一方、
「あなたは私、私はあなた」は
○お互い同じ人間やしね。
○充分共感できるよ。
って事ですよね。


仲の良い友達が悲しんでいたら
私も同じように気持ちが沈んだり

でも、何処かで
綺麗事でしかないように思えたり
共感出来ない時は、自分を責めてしまったり



その時々で使い分けるって事?

だとしたら、それこそ究極の
“自分勝手”になってしまう


人生って、そんなもの?





最近、
そんな“モヤモヤ”の霧が晴れるヒントとなる
インスピレーションをもらいました。

キーワードは
「パラレルワールド」でした。


例えば
毎日歩く道で、交通量の多い道路を渡る時

A、歩道橋を渡る
B、横断歩道を渡る

で、ほぼ毎回迷います。

Aは、階段を登るのが億劫だけど
上へ登れば眺めが良い。

Bは、階段は無いけど
信号待ちをしなければならない。


Aを選んだからこそ出会える事があり
Bを選んだからこそ出会える事がある

それを一瞬のうちに選ぶ決断を
毎日無意識にしている事になります。


もしかしたら、
歩道橋の上で思い掛けない人
とバッタリ再会したかも知れないし、

もしかしたら、
信号待ちの間に交差点のお店で
欲しかった物を見付けたかも知れない。





そして、仮に今、
私は歩道橋を渡る事を選んだとします。

懐かしい人とバッタリ再会出来ました!
とします。

と同時に交差点のお店では、
他の誰かが欲しかった物を手に入れていると…

それは、もしかしたら
“もう一人の私”だったかも知れないですよね。


これが
「あなたは私、私はあなた」
やなぁ~!
って、思えたんです。



ややこしいですか?



私が選ばなかった方を選んだ人がいて
でも、もしかしたら、
私もそちらを選んでいたかも知れないなら

私が出来なかった経験も
もしかしたら、私の経験だったかも知れない


「あなたの経験」は
「私の経験」だったかも知れない

つまり
「あなたは私、私はあなた」

であり、また、



同時に起こり得たパラレルワールドの全てを、
一人で経験出来ないのなら

決断して選んだ道で経験出来る事は
他の誰にも経験出来ない
唯一無二の経験となる。

つまり
「自分は自分、他人は他人」
と言う表現になる。



ややこしいですか?



長くなったので、
今日はここまでといたしますが、

これに気付いてから、
私の中では大きな変化がありました!

お付き合い頂き
ありがとうございます。