よく
「溜息ついたら、幸せが逃げる」
と言われます。

「あ!溜息ついてしもた!アカンアカン!」
と、笑いながら息を吸う。

これは関西のノリかも?ですが(笑)


でも、本当に
「溜息ついたら、幸せが逃げる」
もんなんでしょうか?

溜息ついてる時点で、既に、幸せでは無いような気もするけど…

溜息にも色々あるから、一概には言えないですね。



同じように
「ネガティブな事を言ったり、考えたりしたら、ネガティブな事を引き寄せてしまうからダメ」
…とか

私も、大概、ポジティブ思考な方だと思いますが、それでも、ちょいちょい

腹が立ったり
イライラしたり
妬んだり
恨んだり
憎んだり
後悔したり
誰かを許せなかったり
自分を許せなかったり

暗い気持ちになって、落ち込みます。

「アカンアカン!ネガティブになったらアカンねん!」

「こんな風に思ってしまうのは、自分が招いた事やから、他の誰でもない自分が悪いねん!」

「こんな気持ちになるのは、きっと何か意味があって、私はこの苦しみを乗り越えなアカンって事やな!」


まぁ、私なりに、何とか昇華しようともがきます。

そして、少しは気持ちが晴れたとしても、また同じような事が起こると、また同じような感情が湧いてきます。
フツフツ
ムカムカ
メラメラ

そしてまた、同じように、自問自答しながらもがきます。

この繰り返し…



そして、何度も同じ事を繰り返すのも嫌になってきて、自分に自信がなくなってしまったり、自分を好きでいられなくなったり…

そう言う意味でも
「ネガティブ思考はダメ」
なのかも?知れませんね…


でも、ここしばらく家で大人しくしていて

「私は私を突き抜けたい!」
と強く思い

「私の未来は輝いている!」
と確信し

「誰かに言って欲しい言葉を、自分に告げる」
方法を編み出し(笑)


そうこうしていて、気が付きました。

「ネガティブでオッケー👌」と。


何故かと言うと、そもそも宇宙には
「善・悪」とか「良し・悪し」
の概念は無い…らしいので…

そもそも「ネガティブはダメ」の「ダメ」の部分が意味がないはずだからかです。

平たく言うと、太陽の光が当たっていれば、影が出来るのは当然。
それが宇宙の法則。

では、その「出来て当然の影」に、何故こんなに毎回毎回苛まれ、結果自分を責めてしまうのか?

夏の炎天下では、その「影」を選んで歩いてさえいるのに…です。


つらつら考えてみると、それはやっぱり
「自分の気持ちが傷付いた」
が出発だからなのではないかと思うのです。

自分の気持ちを無視されたような気がして、傷付く。

悲しくなってしまって、相手を否定したくなる…

そして、怒りに変わる(笑)


確かに、もしかしたら、その相手は、「空気読めない」「他人の気持ちがわからない」未熟な人だったりする場合もあるのかも知れないけど

そして「私は悪くない」のは間違い無いとしても

「私は傷付いた」のは確か。


それならば「傷付いた私」に、優しく言ってあげたい言葉を、私が私に告げる。


自分はもっと、優しくされるべき

自分はもっと、大切に扱われるべき

自分はもっと、尊重されるべき

なのに、そうならなかった

そりゃ、傷付くよね

悲しくなるよね

腹が立って当然よね


つまり、
「ネガティブは“悪”ではない!」

強過ぎる太陽を遮る大きなビル影に入って、ホッと一息つけるように

「もっと自分を大切に、優しく扱って欲しい。」
「これ以上、自分を責めないで。傷付かないで。」

と、
心の奥からの信号かも知れない…

と、思ったのでした。