Mr.Childrenの楽曲「ランニングハイ」は

2005年6月29日にリリースされた27枚目のシングルCD「四次元 Four Dimensions」の中に収録されています。

疾走感のあるアップテンポな曲調で、聴いていて気持ちがよく、さらに桜井さんの掠れ気味な歌声がクセになります。

""四次元""というだけあって、このCDには「ランニングハイ」の他に「未来」「and I love you」「ヨーイドン」の全4曲からなっています。どれもいい曲です。

Mr.Children「四次元 Four Dimensions - EP」 https://itunes.apple.com/jp/album/yojigen-four-dimensions-ep/1374827381


第一回となる今回は、自分がとても気に入っており、さらにMr.Childrenの世界観を最も理解できる楽曲であると(勝手に)思い

13年前にリリースされた「ランニングハイ」を今更ながら紹介したいと思います☺️



ところで、Mr.Childrenといえば

世間的なイメージでは

「王道のラブソング」「壮大なバラード」「背中を押すポジティブな歌詞」


こうした言葉をよく見聞きします。

確かにそういった楽曲も多いのですが

しかし、しっかり聴き込むと、こうしたイメージから乖離した世界観を受け取るはずです。

その、世間がイメージしているものとは違うMr.Childrenの姿をよく表現してあるのがこのランニングハイだと思います。

では見ていきましょう。すべての歌詞のURLも載せておきます。


まず
<序盤〜1サビ前まで>

甲「理論武装で攻め勝ったと思うな バカタレ!」

乙「分かってる仕方ないだろう他に打つ手立て無くて」

甲「威勢がいいわりにちっとも前に進めてないぜっ」

乙「黙ってろ!この荷物の重さ知らないくせして」

向こう側にいる内面とドッヂボール
威嚇して 逃げ回り 受け止めて 弾き返す

この歌詞に主人公がいたとすれば、彼は口だけは立派な割に何か成し遂げているかといえばそうではなく、「この荷物の重さ知らないくせして」と、言い訳までしてしまう人間です。

こういう人いますよね、自分にも心当たりがあったり…

ここで面白いのは、歌詞における自虐的な表現はMr.Childrenに限らず、多くのアーティストにおいても多々ありますが、そのマイナスな点をたださらけ出しているだけでなく
「仕方ない」といった言葉からもわかるように、そのマイナス自体を肯定(諦めに近い)している点です。

この「マイナス要素を肯定(諦め)する」ということがキーワードとなっていきます。


<1サビ>

「もう疲れた誰か助けてよ!」
そんな合図出したって 誰も観ていない
ましてタイムを告げる笛は鳴らねえ
なら生き絶えるまで駆けてみよう
恥を撒き散らして
胸に纏う玉虫色の衣装をはためかせていこう

「タイムを告げる笛は鳴らねえ」といった表現から、桜井さんのサッカー好きが伺えますね笑

曲中で最も盛り上がるサビを「もう疲れた」という非常にネガティブな言葉から入るところが印象的です。

「生き絶えるまで駆けてみよう 恥を撒き散らして」
とても泥臭くてがむしゃらな人間ですが、胸には七色に輝く「玉虫色の衣装」を纏っています。

この対比が素晴らしいですね。「泥臭くても輝くものがある」ともとれますが
美しいものが必死な姿を見せると、よりその必死さが際立つ感じを表現したかったのかもしれません。


<2番Aメロ>

苛々して仕方ない日は
疲れた身体を 都合のいい恋に預けて
終われば寝たふりして
あれっ 俺ッ 何してんだろう?
忘れた 分からねぇ
太陽が照りつけるとやけに後ろめたくて

イライラの捌け口として性を使うといった純情とは無縁のこの感じ、まさにMr.Childrenに登場してくる男ですね笑

「しるし」や「365日」といったロマンチックで「真っ直ぐにあなたを愛しています」みたいな曲が有名なので、そういったイメージが付いているかもしれませんが

Mr.Childrenの恋愛ソングでは「都合がよくて未練たらしくて自分にも相手にも甘えた男」が多いと思います。

ただ、やはりそうした自分を後ろめたいと思っているようです。

<2番Bメロ>

前倣え 右倣えの欲望
気付けば要らんもんばかり
まだ間に合うかなクーリングオフ

ここは、周りに流されて必要のないものまで買ってしまい、その買ったものをクーリングオフしたいという直接的な意味だけではありません。
2番Aメロのような歪んだ性の欲望や、社会や周囲によってもたらされた本来必要のなかったもの、感情そのものを綺麗に無くしたい、という気持ちだと思います。
また、桜井さんの歌声のまた不思議なところで、きっとそのクーリングオフはできないだろうという反語的なニュアンスを感じることができます。


<2番サビ>

亡霊が出るというお屋敷をキャタピラが踏み潰して
来春ごろにマンションに変わると代理人が告げる
また僕を育ててくれた景色が呆気なく金になった
少しだけ感傷に浸った後 「まぁ それもそうだなぁ」

この詞こそがMr.Childrenの真骨頂、Mr.Childrenを理解するのに最も適していると僕が(勝手に)思っているところです。

2番Bメロから、金や欲望が渦巻く資本主義に批判的な目を持つ主人公。
「亡霊が出るお屋敷」はおそらく空き家で、そのまま放置しているのでは経済的に見れば損失です。

しかし幼少の頃、登下校の途中で眺めていたり
お化け屋敷や探検といって、そのお屋敷に入って遊んでいたであろう主人公からすれば

自分を育ててくれたお屋敷や、そこで培った思い出は、お金では得られない特別な価値があるものです。

そんな幼少期に見たイノセントな景色が金のために簡単に潰され、しかも自分は住まない、つまり自分にとっては特に利益にならないマンションのために、自分の大切なものが消えていくという虚しさが感じられます。

(僕の実家の近くにも
窓ガラスが割れ、埃まみれのなにも手入れがされていない空き家がありました。
小学生の頃の僕は友達と「もしかしたら死んだ人の骸骨があるかもしれない!」といって侵入したことがあります笑
ほんとはダメなことだと思いますが、あのときのワクワク感や、昔ここでなにがあったんだろうと友達と話し合った思い出は今でもよく覚えています。)


ここでは、資本主義という日本全体を取り巻く経済体制を
空き家という地域のどこにでもある風景を題材に「金以上に大切なものすら金の前では無力」という鋭い視点で斬り込んでいます。
これほど映像を想像させつつ、多くの聴き手に同じ経験を思い起こさせながら強いメッセージを残せるのは本当に素晴らしいと思います。

桜井さんの皮肉交じりの歌い方もたまりません。

"また"や"呆気なく"といった言葉でさらに刹那的なイメージを感じさせます。細かなワードセンスが光りますね。

しかし、Mr.Childrenの真髄はここからです。

"少しだけ感傷に浸った後 「まぁ それもそうだなぁ」"

これこそがMr.Children独特の世界観だと自分は考えています。


金のために自分の大切な景色が潰され、虚しさを感じていながら
「まぁ それもそうだなぁ」と受け入れています。


社会風刺やダメな自分を描く歌は
大抵「そういう現状はよくない!変えなきゃ!」
といったものが多く、さらに踏み込んでも「でも変えられない自分が悔しい」というところまでだと思います。

しかし、Mr.Childrenの楽曲には
現状や自分に批判的な目を向けながらも
それを変えようとするのではなく、「まあいっか、仕方ない。それもそうだ」といって諦める、そんな自分をも肯定するという思想が度々見受けられます。(もちろん全ての楽曲においてではありません)

こうした視点や考え方があるのは、他のアーティストにはあまり見られないMr.Children独特のものだと思います。

「ランニングハイ」は、そういう意味でMr.Childrenの世界観をよく表していると思っています。

長くなってしまったので、残りは少なめで…笑

<大サビ前>

時代とか 社会とか
無理にでも敵に仕立てないと
味方を探せない
愉快に暮らせないよ

13年前の詞ですが、いまでもグサリと刺さりますね。
Twitterとかまさしくこういうのですよね

<大サビ>

仕組んだのは他の誰でもない
俺だって自首したって
誰も聞いていない まして罪が軽くなんかならねえ
なら生き絶えるまで駆けてみよう
恥を撒き散らして
退きどきだと言うなかれ素人!
まだ走れるんだ
生き絶えるまで駆けてみよう
恥を撒き散らして
胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしていこう

曲全体として、自分自身の憂いやずるさ、社会への批判的な目線を描き出していますが、
そんな自分のことなど誰も気にしていない
それなら恥などかきすて、必死に生きていこうというメッセージで締めています。


さて、長々と語ってしまいましたが

このようにMr.Childrenの楽曲を見てみると

とても綺麗なことだけ言っているわけでもないなあと感じますね。

また、社会風刺や自分自身を見つめるような曲であっても独自の視点があることがわかります。


特にこの「マイナス要素を諦める、肯定する」という感覚は、最近の曲でよく表れています。

桜井さんの価値観や考え方が変化したから、とかあるんでしょうか。

いずれにせよ、素晴らしい詞だと思います。


ではこの辺で失礼しようと思います。

読んでいただきありがとうございました😊