こじんまりした山門をくぐり、寺内に入った。

 瓦屋根の、質素だが年季を感じさせる門だった。門番といえる金剛力士像たちはいない。

 

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 入ってすぐに「時政公霊廟」という小さな木製の看板が立てられていた。この願成就院は、鎌倉幕府初代執権北条時政が奥州藤原氏討伐を祈願して建立したとされる寺である。

 左側の一段下がった場所には小さな池。その周りには石像が十数体。木製のベンチがしつらえられており、子ども連れの参拝客が休んでいた。

 寺務所で受付をしていたのは、藍染めの作務衣を着たブロンドヘアーの外国の方だった。この方を仮にロバートさん(男性)ということにする。

 ロバートさんはフヂマルが拝観料を払うために千円札を出すと掌を差し出した。おもちゃのグローブくらいは優にある、大きくて分厚い掌だった。

 ロバートさんの日本語は達者で、フヂマルがまずえんじ色の御朱印帳を購入することを告げた後に、

「御朱印はいただけますか?」

と尋ねると、今は朱印は書置きになること、4種類ある御朱印のうち3種類の本尊はどれかということを、よどみなく説明したかと思うと、

「最後のは、北条政子の御朱印で、今年だけの限定です。」と、大河ドラマとのタイアップをしっかりアピールすることを忘れなかった。フヂマルの隣でその説明を聞いていたカップルの女性の方が、「今年だけの限定っていう響きに弱いのよね。」とつぶやいた。

 それは聞こえなかったことにして、フヂマルが4種類全部お願いすると、

「完成するまで時間がかかりますのでこの引換札をお持ちください。今、本堂の中は団体のお客様が入っているので、先に裏にある宝物館から見学されることをおすすめします。」

と言う。感心して、

「日本語がホントにお上手ですね。」

とフヂマルが誉めるのと先ほどのカップルも感嘆の声をあげるのがほぼ同時だった。

しかしロバートさんは、

「それほどでもありません。ありがとうございます。」

とクールに言い放った。


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 本堂の裏側にある宝物館の中にもたくさん人がいた。

 おばあちゃんたちとそのおばあちゃんたちに連れられたおじいちゃんたちが、口々に好き勝手に話している。それに負けじとばかりに案内のガイドがワイヤレス拡声器を使って早口で話す。仕事だから仕方ないとはいえ、ほとんど聞いてくれないツアー客に、決められている説明を最後まで行わなければならないガイドの声は、なかば投げやりに、なかば自棄になっているように聞こえる。とにかく、狭い館内は彼らの声が響き渡り、とてもうるさかった。

 宝物館の内容はというと、中央にはかわいらしいお顔をした北条時政公の像が置かれていた。五月の節句の武者人形のように白塗りでお目目がぱっちりとしている。大河ドラマで時政役の坂東彌十郎の眠たそうな腫れぼったい目つきとはもちろん似ても似つかなかった。

 国宝の毘沙門天、不動明王、そして2体の童子像の中に納入されていた、これも国宝の五輪塔型の木札はガラスケースの中に展示されていた。製作者として運慶の名前がはっきりと墨書してある。

「これってどこから出てきたの?ホンモノなのか?」

「卒塔婆だな、これ。なんて書いてあるんだ?」

おじいちゃんツアー客が、かみ合わない会話をしている横では、ガイド氏がまだあきらめずに説明を続けている。

 他には、寺伝やら何やらが描かれた日本画や、昭和の調査発掘で出土した創建当時の瓦の破片などが展示されていた。もともとは奥州藤原氏の遺した、中尊寺・毛越え寺・無量院三寺院を模した大伽藍を誇った寺院だったらしい。山門を入ると池があってその池の中島にかけられた橋を渡って参詣するという藤原時代特有の寺院形式だったという。

 瓦の破片の説明に「鶴岡八幡宮のものと共通点が見られ、源氏と北条氏の密接なつながりを感じさせる」などと書かれているのを読んでいると、今度はおばあちゃんたちが「マサコよ、まさこ!」と声をあげ始めた。

 その声の方を見てみると、ひな人形のような男性像と女性像が置かれていた。どうやら頼朝と政子の夫婦像らしかった。おばあちゃんたちは、立ち止まりもせずに歩きながら「政子、政子よ」と言いながら通り過ぎて行った。

 やれやれ、落ち着かないことよと思って端っこの方に目を移すと、西村公朝氏の筆による寄り目の阿弥陀如来坐像の線画があった。願成就院の本尊である仏像を描いた図だった。こちらは指がきちんと揃った状態で描かれている。

 ガイド氏がちょうど「ほかの阿弥陀様はたいてい膝の上で手を組んでおられますが、願成就院の阿弥陀様は、胸の前で両の親指と中指をくっつけて『中品中生』という形の説法印を結んでいた、と考えられています。」と話しているところだった。

 フヂマルがこの願成就院の阿弥陀如来坐像に強く惹かれ、4時間近くかけて静岡くんだりまで車を走らせてきた理由の一つが、この欠損した指を見るためだった。指がないことが、この仏像の印象を左右する大きなポイントだとフヂマルは思っていた。もし指が壊れずに残っていて、『中品中生』の説法印を組んでいたとしたら、この仏像はもっと違う印象になっていたはずだ。なぜ壊れたのか。どういう災難がこの仏像を襲ったのか。自然災害か。戦乱か。それ以外の厄災か。そして、なぜ修復しないままなのか。いろいろと知りたいことだらけだった。

 いつの間にか宝物館の中は静かになっていた。ツアー客は去ったようだった。

 ガイド氏は疲れたような、ほっとしたような顔をして立っていた。

 フヂマルは本堂の方に移動することにした。