上野東照宮はたぶん初めてかなぁ〜🤔。

散々上野公園界隈は散策してるんですが、記憶にないのでたぶん今まで行ったことはなかったと思います。



『上野精養軒』さんや『伊豆榮 梅川亭』さんのある脇道の方から入ってみました。

ちょっと鄙びた感じですねぇ〜🤔。



横目に社殿を見ながら、鳥居⛩からの参道につながります。



五重塔も立派なのがありますねぇ〜🤔。



唐門までは入れます。

日光東照宮の唐門は有名ですけど、こちらの唐門もステキでした。

こちらも左甚五郎の彫刻がたくさん残っていました。



唐獅子🦁さん。

お座りしててお利口さん😊。



これは降り龍🐉の方ですかね?



錦鶏鳥と銀鶏鳥というんだそうです。

それと幾何学的な模様は「亀甲花菱」というんだそうです🤔。



御朱印は唐門の左側にある新しい建物の中でいただけました。

御守りやお札も売っていました。



こちらは桜🌸をはじめとする春の植物をあしらった期間限定の御朱印です。



真ん中の印は少々特別😳。

御朱印を包む紙包に書いてある説明によると、徳川家康が死の床に就いた時に、政治面での秘書官長であった天海僧正と、関ヶ原の合戦や大阪の陣のドラマになると必ず胡散臭い人物として描かれる戦国大名藤堂高虎を呼んで、

「三人一つ処に末永く魂鎮まる処🪦🪦🪦を作るように」と遺言したんだそうです。


それで、藤堂高虎が自分の屋敷があったこの上野の地を徳川家に献上し、祭神として、徳川家康(東照神君)、天海僧正、藤堂高虎の3人を祀って創建されたのがこの上野東照宮なんだそうです。

だから、中央の印には「東照神君」を中心として右側が「天海僧正」、左側が「藤堂高虎」になったというわけです。

よく見るとホントにそう書いてあります。

つまり、400年前の印をまだ使っているというわけですね😳。スゴっ😅。


つーか、天海は一応お坊さんなんだから神様になってはマズいでしょ😅。

そんなことするから、明治維政府に天海所縁の南禅寺の寺領を削られて、挙句の果てには水路閣みたいな物を作られちゃんだよ😅、とか考えちゃったりして。

妙に歴史の面白さと人間の恨みの深さとかに思いを馳せたら疲れてしまいめしたの😓。



帰りはちゃんと鳥居⛩をくぐりました。

門の屋根には、木の名札がびっしりと貼り付けられ、千社札もたくさん😳🤔。

このへんは江戸の名残を感じてけっこうじ〜👀と見入ってしまいました。



こういう書体の文字ってあまり上方(京都・奈良)では見られないですからね。


いい感じでした。


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