昨朝、会社に出勤途中の事。
少し大きな通りの横断歩道を3分の1程渡った所で、足元に『ひっくり返ったセミ』を見つけた。

ひっくり返ったセミを見るたびに
「なぜ、ひっくりかえったら自力で起き上がれない形状なのだろう。土の中で何年も耐えてやっと地上に出て最期がこれでは、とても気の毒に」
と思う。
そして、足が動いてまだ息がある様子なら自力で動けるようにひっくり返す。

さて、目の前のセミである。そのままだとほぼ確実に車に轢かれてしまう。
どうしたものかと思ったら、セミの足が僅かに動いた。

それを見た瞬間に心が決まり、掬い上げて両手の空間に閉じ込めたまま歩道を渡った。
少し羽をバタつかせた後、指をシッカリ掴む力が伝わってきた。
よしよし、思った程弱っていないかもしれない。

近くの植木にとまらせた。
帰りに様子見しようと思ったが、電車の時間が差し迫っていてすっかり忘れてしまった。

ひっくり返っていたくらいだから、平均寿命を全うできない確率の方が高いかもしれない。

自己満足ではあるけれど、心がほんのり温かい。
小学校に上がる前からキャンプだの山菜取りだの連れて行ってくれて、セミくらいなら素手で触れるように育ててくれた親に感謝の気持ちが珍しく湧く。

こういう事は、何かからのプレゼントのような気がする。

そして、思いっきり俗っぽい私は
「もし、恩返ししてくれるなら、私はいいから、お外暮らしの猫たちとかコトラくんの、ごきげんさんな時間を少しでも多く頂戴」
などと勝手な事を願ったのだった。