「沈黙せず、無力感はね返す」
普段ほとんど新聞を読むことはないのに、たまたま開いた読売新聞4月21日付朝刊に載っていた記事。
「角田光代さん 被災地へ」という記事は、自分が言葉にうまく表すことのできなかった心情を代わりに表してもらったような気がした記事でした。
「三月十一日以降、すべてが大きく変わってしまったことを、今だれもが感じている。震災は、多くの人のいのちや暮らしばかりでなく、言葉の意味すらも奪っていったように私は感じている。自然や猛威という言葉がちぐはぐに思えるように、海という言葉を、波という言葉を、大地という言葉を、痛みもなく、もう使うことができない。そしてその痛みも悲しみも、人によってまったく異なるはずだ。がんばろうという言葉に励まされる人がいる一方で、苛立ちを覚える人も、傷つく人すらいるだろう。以前のようにシンプルな言葉で私たちが無邪気に語り合うことは、もしかしてもうできないのかもしれないとすら、思う。」
「言葉の意味が変わったことをおそれて、相手の使う言葉との差異をおそれて、沈黙してはならない。無力感にのみこまれてはならない。三月十一日の前にあったものの多くは戻らない。でも、戻るものもあると私は信じようと思う。かたちや意味が変わっても、何年かかっても、暮らしや日常や、海や雨といった言葉を、以前よりずっと大きな意味合いでもって私たちは獲得し、共有できることを信じたいと思う。」
さて、晩御飯。
でも、お肉を赤身にしたので思いのほかさっぱりしていました。

