閉店SALEがそんなに長いわけがない

閉店SALEがそんなに長いわけがない

タイトルとは無関係の極私的読書感想文

好きな作家さん

ノンフィクション:
後藤正治(取材者への愛情をこれでもかと感じる温かさ)
沢木耕太郎(時に熱く、時にクールに。一瞬の夏は超名作)
井田真木子(女性を描く視点が素晴らしい)
近藤紘一(東南アジアを中心に体験的文化エッセイが秀逸)
吉村昭(徹底した資料蒐集が数々の名作を生む)

フィクション:
伊藤計劃(語りの巧さで思わずグッとくるSFはすべて名作)
本谷由希子(ひたすらハイテンションのぶっとび具合が最高)
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かつてアルバイトで、一週間ほど沖縄出身の方と仕事したことがある。パンチパーマで見るからにカタギでなさそうなおじさんだった。最終日の片付けが終わった頃、なぜだか現場を抜け出して、近所の沖縄料理屋さんへ連れ出された。料理屋さんにはハゲたマスターがいて、パンチパーマのおじさんは、その人と話があったらしい。

「兄ちゃんお疲れ!」とバイト中にも関わらずビールを強要された私は、飲むふりをしながら二人の話が終わるのを待っていた。たまに漏れ聞こえる会話から、二人ともどうやらその筋の方らしい。その店は沖縄出身者のコミュニティのようだった。

突然職場から消えてどう思われてるのか不安だった私を、パンチのおじさんは「この兄ちゃんは良く働いてくれていい奴だ」と、マスターにしきりに褒めてくれた。その時、マスターが私にかけた言葉が、「兄ちゃん、イチャレバチョーデーだよ」だった。

一回会ったら友達、ということらしい。そのなんとも間の抜けた発音に少々意外な感じがしつつ、同時に妙な人なつこさを感じたものだ。

佐野の本にも、やたら親切で親戚のようになにくれと世話を焼いてくれる沖縄県人が登場する。沖縄県人というより琉球民族と表した方が適切かもしれないが、ともかく、その濃密な感じは、狭い島であるにも関わらず、東にも西にも開けた土地柄故の多様性(チャンプルー的な)がそのまま表出しているようである。

本書の題目は、本土発の沖縄レポートではわからない、アングラな面からオキナワを捉えてみようというものである。オキナワヤクザの抗争や、知事選の顛末、基地との微妙な距離感などは、まさに本土からの沖縄論、哀訴に満ちた被害者としてのレポートからは到底見えない。

そうした意味ではある程度佐野の試みは当所の目的を果たしているのだろうと思う。ただ、総花的な内容になっているので、もう少しという食い足りなさを感じる部分があるとも感じた。

それもこれも、沖縄が持つ問題の多さと幅の広さ故なのかもしれない。尖閣諸島ひとつ取ったとしても、利害関係者が何人も出てくる。掘り下げているつもりが、気づけば横穴になっているような、どこまでものびていく感覚を読んでいて感じた。

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上(集英社文庫)/佐野 真一

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沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 下 (集英社文庫)/佐野 真一

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まほろ駅。

どうやら、町田駅のことらしい。東京都町田市と言えば、別名・神奈川県町田市と言われる三多摩の雄、もしくは東京の鬼っ子と言ってもいいかもしれない。都心からは遠く、そしてなぜだか知らぬがマルキューはあるわ、ルミネはあるわ、そのほかブランドの路面店も数知れず(高級ブランドは、あまりない)。

友人の不動産屋さん曰く、「住むにはオススメしない街、っつーかなんで町田に住むの?」らしい。確かに夜中にあの町にいたことがないが、駅前あたりはそれはそれはデンジャラスな町へと変貌するのだと言う。

その町田、我が地元町田が舞台の小説があるなんて。知ってましたけど、ようやく読みました。

そもそも作者の三浦しをんは同世代で、おまけに町田の某大型古書店で働いていたという。よく行ってました、いまもお世話になってます高原書店さん。『くまぐす外伝』買おうかどうか迷って買わずに絶版コーナーに戻してごめんなさい。というわけで他人とは思えない他人の三浦さんが書いた本作は、町田(まほろ市)が舞台となって物語が展開するのでした。

あとへとつないでいく描写がすこしわかりづらいところがあって、「え、何の話?」となる箇所がなくはないのだけれど、若干のBLっぽさを残しつつ、爽やかな余韻を味わえる作品だと思う。なにより、物語の描写は町田の今昔そのもので、地元民としては町田を闊歩する多田と行天を想像するだけで楽しい。

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)/三浦 しをん

¥570
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勝手なイメージで申し訳ないが、伊坂幸太郎は「伏線回収人」だと思っている。

ストーリーを通して張り巡らした伏線という糸を、ラストシーンへ向けて奇麗に回収していく。読み終わって思うのは、いつも「ああ、うまいなあ」だったりする、そんな印象が強い。

初めて読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」は、構成の巧さにスタンディングオベーションでしたよ、気持ちの中では。

ところが色々読んでいくと、なんというか物足りないというか、「巧いな」以上の感想が出てこないというか。結構読んだつもりだが、正直内容を覚えていない(ファンの方には申し訳ないです)。どことはなしに、パターン化されたものを感じていたのもまた事実。

そんなこんなで「ゴールデンスランバー」ですけれども、これがひっさびさにドンッ!ときました。

作者があとがきで認めているとおり、意図的に伏線の回収を放棄したり、明らかに登場人物の描写が足りないところがあるのだけれど、前半のジリジリした展開や、後半の畳み掛け(まあご都合主義とか言われてるけど)、そして伊坂幸太郎の特徴であるちょっとせつない終幕が心地よかった。

国家とか権力とか、得体の知れない恐怖を描くと、なんだかラスボスみたいなのが出てきて興ざめするときがあるのだけれど、鵺のような存在を、何だかわかんないまま放っておいたところに「ゴールデンスランバー」が異色な作品になっている所以なのだろうなと思った。

ゴールデンスランバー (新潮文庫)/伊坂 幸太郎