9回目の月命日になるのだろう。
見つかってDNA鑑定が終わって、お骨で帰宅したのは2ヶ月半後だから、月命日と数え偲んだのは7回目なのか。よくわからない。
3月の7日は、娘の最期の場所に行った。まだDNA鑑定結果が出ていなかったけれど、三女に間違いないからと、泣きながら警察署でごねて最期の場所を教えてもらった。
どうしても、行って花を手向けたかった。
地面も周りの空気も全て良い香りにしてあげたかった。すぐに消えると分かっていても。
2ヶ月も経って何してるんだと思いながら、それでも、それでも、それでも、、
そこに行って謝りたかった。
やっと見つけたよ。やっと来られたよ。
そう呟きながら、
あなたが、上っていった場所からいつまでもいつまでも離れられなかった。
警察が渋々調べわかった限りの三女が彷徨った道を歩き、見たであろうものを見て、この路地にふらっと入ってこのビルの外階段を見つけたんだと思った。
何度も何度も行ったり来たり、地面にしゃがみ込んだりする変なおばさんを、誰も気にしない様な巨大な街。
その後も休みの日に何度も行って同じ事をした。
その肉体を撫でることも抱きしめることも許されなかった愚かな母の悪足掻きだったのかもしれない。でも、愛してきた我が子が骨になるまでのプロセスが無かった私にとっては、大事なグリーフワークだったと思う。
ある時、もう三女はここには来たくない、きてほしくないかもしれない。と感じて、行くのをやめた。お墓ができたことも気持ちの変化に影響したと思う。
でも、また祥月命日の頃には行きたいと思っている。どうしても突き動かされる何かがある。
人によって、向き合い方が違うのだと思う。
今日、次女がお墓参りに行ってくれた。
月命日にお墓に行く事で、三女の死を受け入れ理解をしようとしている。
「わたしはすぐに何でも忘れちゃうでしょ。離れて暮らしていたから、三女が亡くなった事も忘れちゃって、お家にいると思ってて急に思い出した時に悲しくなって動けなくなるでしょ。そうすると作業所お休みするでしょ。それは困るからそうならない様に毎月お墓に行って三女とお話しする事にしたの。ふふ、ふふ。」
ユラユラと身体を揺らす常同行動をしながら、話の最後に一見場違いな笑いがこぼれてしまうのは、次女が真剣に自分と向き合って話している時。自然と高まる交感神経を緩めようとするのだろう。
誰に教わったでもなく、自己理解しながらグリーフワークを取り入れている。
昨日、次女の通う作業所に、諸々手続きや今後の支援計画等の面談も兼ねて伺った。
移動支援を自分で依頼して、霊園の慰霊塔までは付き添ってもらい、その後は1人でお墓まで行くから見守っていて欲しいと言うらしい。毎月頑張ったことを1人で報告するからと。
三女が霊園のそばに引き寄せたであろう、移転後の場所もとても良いところだった。
面談が終わると、ママー!と小躍りして出てきた次女。もうすぐ22歳とはいえ、まだまだ可愛い。
三女もよく、こうして小躍りして寄ってきたなあ。と重なった。
駅まで一緒に帰る道道、次女はここは公園です。ここは〇〇のお店。ここで信号渡ります。お金は使いすぎない様に、1日100円か200円しか持って出ないんだ。など、ニコニコ説明してくれた。
夕方、駅や電車では学生が居たり、塾通いの小学生がたくさんいて、怖くなって前の様にパニックにならないかと心配したけれど、淡々として立派なものだった。
三女、護ってくれているんだね。
駅で、お墓に持っていくお花を選んでもらった。
中学ではフラワーアレンジ部だった次女は、私よりずっとお花選びのセンスがある。
昨日のうちに、花を替えて💐墓石も綺麗に磨いて明日、次女ちゃん来るからね。と伝えた。
今日、次女から
行ってきたよー。と写真が送られてきた。
可愛いキャラメルマキアートが供えてあった。
2人でお茶したのね。
三女、次女から頑張っている報告を沢山聞いたかな。
今日は長女と、あなたの大好きなお寿司🍣
すっごく美味しいお店を見つけたのよー。
美味しかったね♪
ありがとうね。