今日は雷が鳴っていた。


10年くらい前に、外を歩いているとき数百メートル先に雷が落ちた事がある。頭上を走る稲光と空気の振動がものすごく怖くて、全身の皮膚がビリビリして傘もさせずに半泣きで震えながら走って帰った。


死ぬかも


と本気で思った。40人のクラスで、無作為に「はい、あなた」と指名される確率くらいで自分に落ちる。と一瞬で頭によぎった。人は死ぬかもしれない時に、どうでも良い事を考えるものだと指名されなかった安堵から思った。


それから、雷の音が聞こえるだけで身が縮むようになった。ちょっとしたPTSDだ。


今日、雷が鳴って、雨が降ってきて


私に落ちて死なないかな、、


と思ってしまった。三女が亡くなってから、ふと死にたいなあと思うことはどうしてもあり、でも遺された子供たちのためにしっかり生きなきゃと思い直してきたけど、雷落ちて死ぬのなら仕方ないって思えるかな。なんて考えてしまった。


なんだ、PTSD克服じゃん。


最近、こんな風に自分の人間性が破壊されていく気がして、2度目のメンタルクリニックに行ってきた。


ご飯は食べています。眠剤なくても眠れています。仕事も毎日休まずしています。仕事中はピッタリ蓋がされていて全く悲しくなりません。行き帰りの電車では突然涙が出てしまうこともあるけれど、マスクは便利なもので、さほど誰も気にならないので、私も気にせずホロホロ泣いています。


三女に生き返ってほしい

死にたいなあと思う

死んでるのと生きてるのとどう違うのだろう等、、


よくわからない感情に覆われて、苦しいです。


そう伝えると、竹を割った様な人と看護師さんに言われる先生は


自然な感情なので、薬で麻痺させて先延ばしにしていくより、今の感情に正直に丁寧に向き合っていく方が良いと思います。ただ、だんだん話せる人が居なくなって、感情を自分の中だけに閉じ込めると良く無いので、なるべく文章にして下さい。まとまらなくても良い、長文でも良いです。文章に起こして下さい。


と的確なアドバイスをしてくれた。

私は仕事に救われている。好きな仕事だし、働く事で人とも繋がり、日々学べるのだと思う。反面、仕事に夢中になるから、子供たちを十分に見てやれないというジレンマもある。休む事も考えた。でも、良い結果にはならないだろうとも思った。仕事をしていても、休んでも、多分辛さは変わらない。そして、私の有り余るエネルギーをダイレクトに向けられた子供たちも堪らないだろう。仕事をするなら、薬飲んでぼーっとするわけにいかない。


何が良いのか悪いのかわからないし、かなり投げやりな解決だけど、1つPTSD克服したのは確か。


雷、怖くなくなったよ。


三女の祭壇に、買ってきたイングリッシュラベンダーと、好物だった五家宝を供えて報告する。