我が家の四女。

何度か書いてきたけれど、2歳からてんかん発作があり、中々発作がおさまらなかった。


小1で呼吸停止を伴う大発作があり。。


その後の発達の遅れ、顔面の麻痺、今までできた事が上手くできなくなっただけでなく、薬の副作用による眠気との闘いは、幼いながら本人が1番辛かったと思う。よくここまで頑張ってきた。


それでも、静岡てんかんセンターの門を叩いてから、薬の調整が合って発作はおさまった。


薬による強い眠気🥱を常に抱えているけれど、発作の再発によるダメージは避けたい。頻発していた発作がやっと起きなくなり、ドクターも私も減薬には消極的だった。


発作を起こさない生活を積み重ねることで、脳波が落ち着いてくるのを見極めていた。


大きな発作から10年。


鋭いてんかん波が出ていた脳波が、ここ一年だいぶ穏やかになったのを見て、数ヶ月前から減薬を少しずつ試みることに。

試みはじめてまもなく、12年診てもらったドクターが、この春さらに専門性を高めたいとの事で、静岡てんかんセンターに行かれた。


先日、後任のドクターの初受診。

四女は変化がとても苦手。どきどきキョロキョロ


素敵な💓女医さん👩‍⚕️

三女が大好きそうな😍優しい才女な感じ。

減薬や今後の見通しについての説明も的確❗️

四女にもわかりやすく話してくれてニコニコ☺️


三女ー💞動かしましたねー爆笑


これから減薬する中で、まだ悩むことも出てくるのだろう。でも、その時にできる事を考えていけばいい。そんな風に思える様になった。


今日、雨の中紫陽花を見に、横浜と鎌倉の境界線にある小さなお山を歩きに。


泥濘に気をつけながら、雨や曇りの空を眺めて歩き、ふと

「こんな風に、あなたをいつも空に近い自然が感じられるところに連れてきていたなら、もう少しだけママのそばに長く居てくれたのかな。」

と呟いていた。


三女は幼い頃から空を眺めるのが好きで、高台にあった前の住まいの最上階に行っては、その階に住むおばあちゃまに可愛がられていたから悲しい


私は忙しくて、三女に空を見せるためにどこかに連れて行ってあげようなどと、少しも思った事がなかったショボーン


泥濘に足を取られそうになりながら、そんな事を思って胸がつまったけれど、

「一緒に歩いてるよね。」

と三女の呟きみたいな言葉が脳内で聞こえた。


そう。たらればなんだよね。

後知恵バイアスなんだよね。

って、自分に言い聞かせてたら


ママ、そんな時間あった?

次女ちゃんも、四女ちゃんも、仕事も、ムチャ大変な中で、全部本当に精一杯やってきたじゃん。

だから、今一緒に歩いてるよ。


そんな事を言われた気がして、ちょっと涙ぐみながら、ありがとう。ありがとう。って答えた。


そんな今日、実は天気が良ければ別の場所のお山🗻へのお誘いがあったのだけど、悪天のため日程変更に。。


昨日居住マンションの共有部と玄関の鍵交換があった事で、今朝四女ちゃんちょっとプチパニックに。。💦

(エントランスの鍵🔑→キーレスになる時間帯が微妙で、初めての事は母がいる時に確認したい四女。。)

こんな事で??

という事で母子分離不安が出るえーん

こーゆー時に帰宅時私がいないと、あとあと長引くこと多し💧


そんな訳で、四女ちゃんをデイに送って、帰ってくるまでの山歩きにした。。という事は。。


今日、遠出はできなかったなガーン

危なかったびっくりマーク



三女

なんか、さりげなく動かしてるねー!

四女ちゃんも相変わらずだけど頑張ってるよー。

ママもお山を歩いてピンシャンころりを目指して筋力低下を防いでますニコニコ

いつか、そちらに行く時歩けないと嫌だからてへぺろ


いつもありがとう😊

大好きだよ🩷愛してるよー愛{emoji:610_char4.png.飛び出すハート}