居ないから大丈夫
と言われても。
だめなときはだめ。
どうするのがいいのか?はわからない。
いつまでもこうかもしれない。
それで仕方ないのかもしれない。
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セロトニンの薬SSRI、セルトラリンは
少なめで飲んでいる。
体は動く。
ただ、本来ならたとえば10落ち込んで
その苦しみをピアノを弾いて発散させたりすると
とても集中はするし、
例えばショパンの『革命』。
強い感情が昇華されてゆく。
現代の音楽ではないからこそ
時間の感覚も生活も、国の違いもあるだろう
そのままに感じることは不可能だけれども
時空をなにかがつなぐ気がする。
そうやって人間は今は存在しないし
音はその場で消え去るものだけれども
だからきっとなにかがいいんだろう。
そういうことに「使う」ほうが本当は、
私は気分がいい。
でもセルトラリンを飲んでいると、
本来なら「この感じ」は
例えば10の落ち込みのはずが7のようになる。
変な感じ。
おや?というような。
それに「エネルギー」に変換はできないから
「不足感」もどこかある。
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その「思いきった」に至らないことで
ふわーっとかすみや、煙のように残っている?
いったん、すべからく破壊されつくされなければ
新しいものは生まれない。
そんな気がするときもある。
無論、それを絶対視してはいない。
今、ある、命が失われる。
そして、次の命が生まれる。
その時代、時代にあった命が紡がれていく。
そして歴史的には大きな潮流となる。
ひとつひとつの命にとっては、
ただのひとコマの風景。感慨。
感情も、ガラスのように砕け散り
新しく生まれて
ひとつひとつのその命にとっては
強い感情の束となる。
そのために、祈るように激しく燃やす。