居ないから大丈夫


と言われても。



だめなときはだめ。

どうするのがいいのか?はわからない。


いつまでもこうかもしれない。

それで仕方ないのかもしれない。




- - - - - - - - - - - - - - - -






セロトニンの薬SSRI、セルトラリンは

少なめで飲んでいる。


体は動く。


ただ、本来ならたとえば10落ち込んで

その苦しみをピアノを弾いて発散させたりすると

とても集中はするし、

例えばショパンの『革命』。

強い感情が昇華されてゆく。


現代の音楽ではないからこそ

時間の感覚も生活も、国の違いもあるだろう

そのままに感じることは不可能だけれども

時空をなにかがつなぐ気がする。


そうやって人間は今は存在しないし

音はその場で消え去るものだけれども

だからきっとなにかがいいんだろう。



そういうことに「使う」ほうが本当は、

私は気分がいい。



でもセルトラリンを飲んでいると、

本来なら「この感じ」は

例えば10の落ち込みのはずが7のようになる。


変な感じ。

おや?というような。

それに「エネルギー」に変換はできないから

「不足感」もどこかある。




- - - - - - - - - - - - - - - -





その「思いきった」に至らないことで


ふわーっとかすみや、煙のように残っている?






いったん、すべからく破壊されつくされなければ

新しいものは生まれない。


そんな気がするときもある。




無論、それを絶対視してはいない。







今、ある、命が失われる。




そして、次の命が生まれる。



その時代、時代にあった命が紡がれていく。



そして歴史的には大きな潮流となる。





ひとつひとつの命にとっては、


ただのひとコマの風景。感慨。





感情も、ガラスのように砕け散り


新しく生まれて


ひとつひとつのその命にとっては


強い感情の束となる。





そのために、祈るように激しく燃やす。