ごめんなさい、かもしれない。

書くわけにいかなくて、まあいまも直球では書きませんが、🧟‍♂️のことモラハラと書いたりしてたから。

モラハラ様(よう)の話し方はしてきてたから。


🧟‍♂️に捕まって逃げられなくて

私は「自分が悪いから」と書いてたと思うけど

それは🧟‍♂️に対してではありません。


私は信者ではないけども、母親が洗礼を受けたいと言いながら受けずに亡くなってるくらいで、母が長兄と私を乗せて運転するときには、カトリックのお祈りをしていたし、聖書もあったし、カトリックじゃないどころだけども母のお友だちにエホバの証人もいておうちに行ったこともあるし、ものみの塔の絵本とかもあったから。「振り返るな」と言われたのに振り返った人が塩になる絵とかすっごく怖かったんです…


だから、信仰心のようなもの…神様がいるいない、ではなくて人間より何よりも尊い存在とか優位な存在、存在というよりもっと観念的なのだけど、そういうことを感じるというかなあ…だから


子供心には、いじめられたり、ひどい腹痛のときには「かみさま、ごめんなさい、悪いことはしないから、おゆるしください」とか心の中で思ってました。



🧟‍♂️から逃げられなくなりすぎた時も、もう自分が、いやもしかしたら前世にしろなんにしろ、なにか悪いからこのような目にあっているのか、だとすれば甘んじて罰を受け入れるしかないのだろうか


と思ったりしてました。



そう思うしか生きる道がなかったわけで。



諦める

受け入れる

やっぱりむりだしやだ

つらい

天罰なんだろう

でも私が引き受けることではない

どうかおゆるしください

もっと善い人になります



って繰り返してました。



長くつらかった生活は

今の生活に直結してるから

完全に過去にはできないことです。



奇特なことだから詳細は書けません。



その、底のところも書かずに

表面をなぞるように昔はブログを書いていた…はずです。



おふざけマンなのはもう生まれつきレベルだから

いかなるときでも

どうしても出しちゃうんですけどね。



でもそういう素だと出てしまう私を、

いっさい、封じられてました。


おでこに黄色いフダを貼られたキョンシー

みたいなものですよ。




ドラえもんの映画で、

ゲームの西遊記の世界のキャラがのび太のせいで

現実世界にきてしまうお話があるけども、

もうなんていうかそういう感じ。


それか、絵本入り込み靴で違う世界いったとかみたいな?




なんだろう、この世界は…っていう感覚。


みんなと同じような世界にいるようで

異相世界にいるような。出られる気がしなすぎて、


だからもう「ここの住人なんだ」って思うしかないんだ


って諦めたりしてました。



…まあ、よく、生きてましたねえ



って思うかな。




でも、この社会はそんなことは関係ないから。

流れから落ちすぎた者は戻れない。



生きて帰ってはきたけど

おじいさんになった浦島太郎と一緒だよ。



てかほんとにおばあさんだし。

浦島太郎子だよ。



太郎子になって帰ってきたって


おまえだれだよw


ってだけなわけよ。ね。。。