新しいブログのほう、

アクセスが思うよりあった日があったのです。

ハッシュタグつけてないのに。


なので、現状(心の方と原因について)は特に、

とても書きにくくなりましたネガティブ



オブラートに包んで

個人がわからないようにして…など難しいのです。



caseとしては珍しいのじゃないかなあ。

部分的には被るのだろうけど。



というか、加害-被害 が明らかな構図のものは

多いようでいてそこまでではないのかもしれません。

それに立体的か多元的に多様なんだと思います。





【ストックホルム症候群】


🔺誘拐などされた被害者が加害者を好きになる🔺


という思い込みが世の中に結構あるかもしれません。


【吊り橋効果】もそうだし。

こちらは、そもそも【好意的】な人に起こるもので、そもそも嫌いな人、見ず知らずの警戒するような相手だったら逆効果。ドキドキはそのまま恐怖のドキドキになるそうですからね。この負のほうって普通には聞いたことなかったです。テキストで知りました。




自分の感情に対して、どう読み解くのか、

人はけっこう間違えたり自己欺瞞をするものだと思います。



実際、妬みはいやなものだから自分をさげすんだり嫌いになったりすることはあるそうです(精神科医の話)




そういうこともあるから、

ストックホルム症候群も

あるひとつのパターンに決めることはできないのだ

と思います。


この名称でもって決定付けるのではなくて、

状態に対して共有するためにタイトルとして使用する。


それがこういった名称の使い方なのだと思います。



お菓子で言うと

「チョコを使っているお菓子」みたいな。



報道された容疑者がイケメンだーっ好きって

なる人もいるし

犯罪者を好きになって獄中結婚する人もいるし。


これらはストックホルム症候群ではないだろうけど

(恐怖におとしめられたわけではないから)

もしかしたら混同するんじゃないか、と思います。






暴力男と我が子をいたぶる女

という構図は人々の怒りや嘲り、侮蔑の対象として

存在するがごとく、ニュースにあがりますが、

ここにも、

ストックホルム症候群はあるかもしれません。


「かも」ですよ。




ゴミみたいな人間性の持ち主なのに関わらず

なぜか人が従ってしまう…


それだっておかしいと思いながらも

我が身になれば従う人はたくさんいるわけです。







恐怖は水のように上から下へと流れます。

職場でパワハラマンが一人いて、特に被害者一人に文句や叱咤している場合、見聞きした人も同じように心を痛めます。

あるいはそれによりさらに下の立場の人を同じように苦しめたりすることがあります。


家庭内で虐待を受けて育った子が大人になって親や世間に復讐することがあります。




でも、



全員そうなるわけじゃない。

健全な愛着を得る人は6、7割ですからね。




不健全な家庭だから絶対そうなる、そうなった、だめ…

そうと決まっているわけではないでしょう。


家庭環境だけで全てが決まるわけじゃないから。








私も、ストックホルム症候群だった


わけだから言いますが、


断じて「好き」なんてなったことはありません。


とにかく【こわい】んです。



今も【こわい】です。


私の心のガード(というか心身を守るもの)が必要なくなったからだと思います。


恐怖だけが残って悪さをしている、、、のでしょうか。




ホラー的なものは、もしかしたら恐怖を悪魔や悪霊やジェイソン、フレディなどのような怪物として遊離させ消化しようとしている側面もあるのかもしれません。



実際に、私の亡母は怒ってしまう「かんの虫」を退治するって治療をされたことがあるそうです。子供だった母には見えたようです。







加害者が心理操作、洗脳が格別にうまい?



そう言うと、新興宗教と同じでやはり

「好きになったんでしょ」と信奉したかのように

思われてしまう気がします。


けれども自信をもって明確に言えることは

「一度たりとも好きだったことはない」です。


そのような感情をもったことはありません。

持ちようもありません。




初めて見たときから衝撃的に


気持ち悪い、こわい、やだ


っていう印象の人物でした。





私は【家族】でもないし

なんの【責任】もありませんでした。




言うことは、狂ってい

その脳がおそろしかったです。



合わせるしかなくなる。


そして、まわりにそう言うように脅迫される。



それは、殴られたから蹴られたからなどの

身体攻撃はなくても、成し遂げられました…






比較的最近、学生の男の子が、車内で喫煙してる男性に注意してぼろぼろにされた事件がありましたが、そのとき、他の人は誰も手出しできませんでしたね。


大の大人が複数人いても

なにもせず、できず?になってしまうこともあるのです。


言葉で追い詰められて自殺する人もいるのです。





他に誰もいない荒れた部屋で

2人きり…または刑務所から出てきたような人が他にもいるのです。私の人生では初めてのことでした。


そんな状態でどうにかできるほど

私は強くはないのです。とても弱い。



それからとてつもなく恐ろしい状況に、何度も遭いました。

精神を完全に見失いました。



そして私は合わせるしかなく

ただただ恐怖に震え、泣くしかなかった。


それに泣けば怒鳴られてました。




それから、起床時間、睡眠時間は勝手に変えられていました。


無理矢理お金をとられました。


なにもかもを失いました。


とても怖かったです。



そうするしかなかったのです。



私は、エサでここにいないといけないのか、

と思いました。


思うしか、なかったのです。


この、苦難の道を与えられ、歩まねばならないのか。

と、思うしかなかったのです。




脅迫で言わされたことを、

バカで不当に私を憎んでいる兄は、電話で聞いてそのまま信じました。それが兄にとって、都合よかったのでしょう。親への復讐心を私にぶつけてたしそうした自分の醜い心を見ない人ですから。




私はつながりを全て絶たれました。


絶たざるを得なかった人たちもいました。


そんなおぞましい連中とつながりをもたせてしまう

ことはできませんでした。




私は肉親である兄にだけは明確に助けを求めたのに

兄は避けました。あざけりをもって。



私は本当に心底つらかったです。

訳のわからない、腹痛にうなされて泣いたりもしてました。



言葉の暴力は、モラハラのやりくち(も)でした。

なにを言っても認めず聞かず否定し人格を破壊しようとしてくる。


眠らせず延々と文句を聞かされたりもしました。



本当にあった話、かのように色々しつこく、

同じ話も聞かされました。

翌日言うと「なに言ってんだ?!そんな話してねえ、頭おかしいんじゃねえの?」とけなしてくることもありました。


話がちゃんと伝わってないとか

勘違いとかの範疇ではありません。




現実と妄想を聞かされました。



だからもう全て本当だし全て嘘だ、

という矛盾を同時に受け入れて聞くしかなかったです。



それから

目の前で、さまざまな違法なことをする場に

いさせられました。



私はなにもしてなくても、

それどころか助けて欲しくても

警察を呼ぶこともできませんでした。


「友達だからサー」

と強要されたからです。



「いやだ、つらい」

でも、逃げられませんでした。



私の人格、精神ではそれくらいでストップがかかる。

弱い。


ストックホルム症候群の状態でした。







中学生の女の子が2年間、監禁されて

外にひとりで出られる機会があったとき

公園で女性に助けを求めると不審がられただけだったために諦めて加害者宅に戻っています。


その後、テレビ?ネット?で両親が懸命に探しているのを知って、逃げたという事件がありましたね。


なんで逃げなかったの?

こわすぎたことと諦めるしかなかったこと

でしょう。



私よりも危機的な状況にまだ子供の少女が

あっていたのだからなおさらです。




この少女ほど大変な目にさらされたわけでないけれども、「助けてはもらえないんだ」という気持ちは本当に諦めるしかないんだ、受け入れて生きるしかないんだ、という気持ちになるのです。



それもよくわかります。



私は息が止まる思いをたくさんしました。


それで過呼吸になんどもなりました。


そのたびに、わざとらしい大きなため息と叱責とを食らいました。


はああ!まあたそれかよ!

泣けばいいと思ってんじゃねえぞ!


って。


右と言っても左と言っても不当に叱責されるし

妄想の話で意味のわからないことを聞かされたり

無理やりゲームをさせられたりしました。


どうにも逃げられなさすぎると

あるべきようにいなければならないのか、

となるのでした。





そうして、年数が経ち、諦めが最大化して相手の創る妄想世界の住人に成り下がりました。


それは気分のいいことではありませんでしたが

長期に渡りました。



それでも具合は悪いし

ときどき、部外者と話は、、、もちろん全部ではなかったのですが、、話をするようにしました。



離れるようすすめられることはもちろんあったけれども、なんどもなんども失敗をしていたため、それにまんまと妨害されたし、簡単にはできなくなりました。



だって人間関係も元々の生活もなにもかも奪われていましたからね。



私の感覚で言うと



私も、おうちがいいおうちではないというけれども、殴られたりご飯をもらえなくて育ったわけでないから、腹が立つ。羨ましいし恨めしいから奪い取ろう。


他人からお金をとれば、とった分だけお金もちになれますね。でも安心や安全、愛情や思いやりは奪っても自分のものにはなりません。


そうしておとしめて、おとしめて、おとしめて

早く自分のようにならないかと願いつつ

同時に全然足りないからよこせ、と


永久にかなわないものを私から得よう、獲ようとする。



そんなふうでした。




だからわたしは、ゾンビだ、としました。


同じ人間「だったもの」で

同じ人間の肉を食べたがる。

食べても育たないし満腹にならないし治らないのに。






今でも、


いえ、


むしろ今、



おそろしい、という感情がとてつもなく強くわいてきてしまっていますね。



隣にいつもゾンビがいたら

息ができない…だからその心を感情を精神を、どうにかいなすために、

ストックホルム症候群に陥ったわけであって。








だから、息子が生まれる直前の入院していた日には、

死にかけたんだと思います。


血圧が異常に下がり、

穏やかに死にかけてました。

身体的な、具体的な原因はわかりません。


でもお産では原因不明な事態が起きますからね。

ただそれだけかもしれないけど。




(同じ話を書いて恐縮です)

血圧低下で鼻血は普通には出ないのに

大量に出て枕に染みていくのに

動けなくてナースコールしたのです。


枕を汚してごめんなさい、

立てないので交換をお願いしたい、と。



体は冷たかったようだけど

寒いという自覚はありませんでした。


なんだか冷たい気がするなあ

エアコンの温度変えよう、、リモコンは入り口かあ、、遠いなあ、、、まあ、いっか、、、



って。通常ならお腹冷えちゃいけないって思うだろうけど思考も鈍っていて、心の中の声さえも遅かったです。


そうしてうすぼんやり、ふわあーっとしてました。


助産師さんにエアコン温度あげてほしいとか言うこともなかったけど、出る前に血圧と体温を測るという常にやることになってることを、その人もしたんです。

枕交換しかしてないのに。


それで後で聞きましたが血圧が30-50くらいで、

体温はわからないけど…当直の医師に緊急処置をされました。

このまま、そっと眠りたいなあって感じにはなってたのですが、とてもうすぼんやりと医師が見えただけでした。



鼻血が出なければ、

親子ともどもか、息子だけとかいう可能性もあったかもしれない、、と、今でもたまあに思うので。



アレがいる、

ということそのものが

私にとって災難でこれ以上ない、苦しみだったわけで。


でもその苦しみ…

実際に車を電柱にぶつけようとかドアを開けて飛び降りようとか、カーテンレールにベルトをかけて首にまいたこと、口擊に耐えられず二階から飛び降りようとしたことなどあります。



ただ、

それだけは、できない、、、

とすんでのところで止まっただけです。


踏み越えなかった。

大きな隔たりを。




それだけのものを、長年かかえてきました。


生きるために私の脳は自動的に

ストックホルム症候群になったといえましょう。



時には恋人のように、みずから振る舞うこともありました。好きでさえないし、当然愛情なんてものはありようがなかったです。


そういう振る舞いをすると、オッケーなんですよね。

加害者は怪物の舞台監督。その自分が作り出してる舞台を本物だと信じこんでいるから、ズレるとキレるんですね。どんなに降りたくても出たくても、客席もましてや外も遠い。いや、客席は、兼監督ですからね。


なにかこちらからは見えない世界を見ています。

それで、よし!とかだめだ!とかわめいてるんですが、まるでわかりませんから。



舞台に他の人もときおり上がってくるけど、

ふわーっと去ってしまいます。

去らずとも手をつかみたいようなシロモノではない。





逃げ出すのは、本当にとてもとても

大変でした。








…ここまでの読み直しも疲れてしまうので

このまま投稿します。




怖いのと

逃げられないことでの諦め


というものが


この事態を事実を無理にねじ曲げて肯定的に捉える、

捉えるように自分自身に暗示をかける、

隠してというかそっちの音量を下げて、こっちで別の音量をあげるみたいなものかもしれません。



そうやって自分でも誤魔化すのです。


またあるときには

理解しながらも相手に合わせるのです。



自分の意見とかはふせて

相手がカーッとしてこない答えをできるだけするようにしたりね。


でもなにを言ってもやってもキレたり

向こうは自分で言ったことを忘れたり(または嘘)

っていうことは当然のことながら常にあるのでした。



振り回されないために

どのような反応をされても

どれもありうべく反応だ、と認める(認識できる)体制をとるしか、できませんでした。


理解の幅をうんと広げる、高くする、

よく言えばアウフヘーベンとか寛容だけども

それは要するに、ただ聞いたふりをする、

どうでもいいのだと構えるということではありました。





恋人かのように…とも書きましたが

【私】の一部は死んでました。



仕方がないんだ

一度、助けてしまった自分が悪いんだ


そう、思うしか息を吸える方法はなかったのです。




これはきっと何かの罰なんだろうな。

とも思いました。




…端的にたとえると、



牢獄で、わからないように少しずつ壁を壊して逃げた

ような感じでしょうか。



もう、疲れました。

おやすみしたいなあ。


でも息子のことを思うともう少しはなんとかしたい、かなあ。



この次に、たぶん、虫のことを、のせます。

苦手な人にはすみません。