私は、スマホでアメブロのアカウント替えるのがとても大変で、うまく扱えません。

IDとパスワード忘れちゃうから。


インスタは楽なんだけど、

必ず写真かなんか要るのと、文章(へただけど!)よりもインスピレーション&おキレイなものって印象を持っているのと、

なんせ、使ってもよくわからないままっていう…年のせいってよりも、私には昔からそういうところがありまして…


なので

このアカウントは虫くらいのみにして

その他は別のアカウントで再始動したいと思っています。



ふんぎりがなかなかつかないでおります。

実は、虫の話はやたらしたいけども

切り替えたらこのアカウントを開かなくなるでしょ?




この世からのさよならは

まだ遠そうだけど


(心身ともあちこち悪いし、せきが止まらないし、重い病でもおかしくない年齢だからわかりません。ひとつずつ病院にはこれからかかります)




🧟‍♂️には、さよならしました。



このページは、あとで非公開にしますね。



おそらく、このブログは読まれてないと思います。


わかりませんが。






着信履歴を開けません。



ポップアップ…じゃなくてなんだっけ。

通知が


「○件ブロックしました」と出ます。


ブロックは、電話帳未登録からと、🧟‍♂️からをしています。




いちいち



携番変更するにあたっては

「連絡先」として記載している機関全てに変更届けが必要だし、スマホを選ばなきゃならないし

そういった心身の余裕がないこと



あちこちに伝えないといけません。



それに


「わけがあってブロックしているので」


と伝えても


「じゃあ、ブロック解除してください」


と、主語がその人になったことを言われることもあります。



こういう現象は、ネット社会の負の影響だと

私は考えていますが、


なかなかそういったことに気づこう

(自分がどんな影響を受けているか)

とする人は少ないのでしょう。



「こんな言動した自分にはっとした」と独り言を書いている人を見かけることも、まれにありますが。


そのように…つまり、アウェアネスですね…ありたいものです。





で、だから、そういったもろもろのことでも

たいへんに疲弊します。



理解の心のありそうな人にだけ

その範疇だろうと思う事柄だけを選んで

お伝えすることはあります。


これまでにせいぜい2、3人だけです。


誰しも時間に制約があるので

それでも100%とは言えないでしょう。




だから、仕方ないとはわかっているのです。


けれども頭でわかることと

心は別ですから



傷つくのですね。



傷がつく、というか、病むというか。



意識が「そこ」に向かわざるを得なくなるわけだから。



説明のしようもないし

しなくてはいけないなんてことはないので

ただただ「無理なんです」と言う…


にしても

「いいじゃないか」とごり押しする人もいます。

こうすればいい、ああすればいいと。



単にばか、ということでなく、


他人は自分ではないし

「思いを馳せるという理解」の仕方を知らないのでしょう。



サンタクロースがいるのかいないのか

心の中にあるのかないのか

というふうな考えや気持ちを持つことができない

ということなんでしょう。


それはこじあけたら見えるものではありませんからね。

他人の心も同じです。


自分の心でさえもそれはあるでしょう。




仕方がないからそういった外形の人には


「精神病なんです。悪化して倒れるからできません」


と言うこともありました。



とても疲れました。




それは100%嘘ではありません。




『着信アリ』



どころじゃなく私には


ホンモノの恐怖です。




誰からか、わからないから


「あれ?」とだけ思って

何回もかけてくるのかもしれませんが



私に個人的にかけてくる人はいませんから


「○回ありました」


というのが複数回あれば




鮮明に想像されるので


1日寝込んでしまいます。




昨日は不意に泣いて



今は体が震えています。




さよならできる、できない


と、直後には、もっとひどかったから


そうは書かないまでも


震えて仕方ないとは書いていましたね。




『コンプライアンス 服従の心理』

という映画をみました。


いらいらする映画だと思いますが、

実際にあった事件に基づいていて


実際そうだ、と私にはわかります。



そう、単純ではありません。



権威だけでも

恐怖だけでもないし


そのときの状態や人

さまざまなものがからみあうのでしょう。



最後には常連客のひとりが

「そんなのはおかしすぎる!」

と言って事態が明るみに出ますから


もしその人が最初にいたら

そこまでひどいことにはならなかったかもしれません。



見えてないのだから

うそをついたっていいし、

電話なんて切ってしまえばいい。


そういうことに気づかないトンネルには

いろんな人が入り込んでしまう。



自分を大切にする、許す

ということ


は、時には難しいことですね。



最後の女店長のシーンは

はたから見ると腹立たしく

けれど日常によくある光景だと思います。



そんなふうにはなりたくない。



悪魔に魂を売った


という言葉が見えてきます…。








時には、みじめに見えても

高潔であるためにそうである、

ということもあるかもしれません。




それが信条ならば、仕方ありません。



心の中に


剣と菩薩を。





私はさよならを言うのが苦手ですけどね。



本当に言わなくてはいけない人には

言えていません。



ごめんなさい。


よわっちいから。