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親和性が高い
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私は変わっているらしい。
人からよくいわれたからそうなのかと思っている。あとは恐ろしく周囲について馴染まないから。

しかし世間を見渡せば私なんかと比較にならない本当の変人がうようよしている。というか、変人とはなんぞや?だ。学習塾で働いたときに「あの人は変わっている」という見方はやめた。無意味だからだ。

みな、どこかズレている、変わっている。変わっているというよりかは、都合の良し悪しにすぎない。

変わっていると言われる一方で、私はよく忘れられる。1ヶ月ごとにあう人からなかなか覚えて貰えなかったこともあるし、2週間、仕事の引き継ぎをした人が翌月には私の顔をわからなかった。
それくらい印象は薄いらしい。

しかし、こういうところに注視して見逃してはいけないのだ。

なにせ、

変わってるね

と言われた回数の方が遥かに多いのだから。



要するに、

私は、
「変わってるね」と言われるような人間と、親和性が高いのだ。


それは、好き・嫌いとは別次元の事だ。
だから、それを忘れてはいけないのだ。



「毒家育ちだからわざわざDVする男を好きになるんだ!」と言う人が多いが、それは違う。
ただ、親和性が高いだけだ。


『ロミオとジュリエット』
なんて誰でも知っているだろう。
親和性が最も悪い家柄同士でも
好きになるんだ。

日韓の関係性だってそうだ。
これほど危うかろうが、それぞれ相手国アイドルのファンはいる。


同じ日本語を話す人間なら全員好きだろうか?そんなことはない。自分が英語が不得手だったら、外国人は全員嫌いだろうか?そんなこともない。


親和性と好き嫌いとは別なんだ。


育ちに問題があるならば、そして人間関係で、“悩み”ではなくて“失敗”したことがあるならば、

自分が接していて親和性が高い時に
なぜか?どこが?と考えなければいけない。


自分と同じ属性か、親和度の高い属性の人間は、特に相性がいいわけではない、ということをむしろ念頭に置くべきだ。


そして、好きか・嫌いかも大事だ。
しかもその好き・嫌いでさえ「間違っている・勘違いしている・思わされている」ことがあるかもしれないことも、失念してはいけない。

感覚が麻痺していたりするからだ。


たとえば

「おれはね、お前のことを心底(奴隷として、虐待相手として)好きで、必要なんだよ」

と言ってくるやつがいるかもしれないのだ。

なぜなら、そういう親に育てられているからだ。


うちは、
「お金を使ってさえいれば、親らしいことをちゃんとしていると自分が感じられる」親に育てられたのだろう。
私の養分は、生活費であり、「おまえはね、与えられて生きられる存在だよ、自分では取りに行くな、ひとり行くくなぁぁ!」と、心に纏足をはかされた可能性は否めない。

「専業主婦はバカにされる、無意味で下等な生き物だ」とか「女は養われて然るべき」とか「働かなきゃダメだ」とか、母親の劣等感と矛盾を植え付けられていて未だに脳みそから花が咲いてるんだろうね…

なんだこんな花は!きもいな!と、ぶっこぬいて自分らしく生きられる人に、私だってなりたかったさ。それはまたもや失われたのだ。
私の中に組み込まれたものの方が強くて、しっかりとその通りにやり続けているではないか。

母が死ぬ前に良い会社勤めの人と結婚し、子供なんか捨てろ!と怒鳴られたように子供は作ることもせず(どうしてもそう思えなかった…)で、
気づいたら逃げてたけども、
それは経済的に自立できてない自分を母のごとく呪ってだ…
そしてまんまと「孫の顔が早く見たい」と言った母に合わせて孫を産み(全く間に合ってないけど)、

母が習わせたかったピアノを未だに弾き、父が得意だったぽい絵も得意目で、母が「あんたってどうして友達がいないのかしら?」「どうしてボーイフレンドがいないのかしら?男性恐怖症なんじゃないの?」「あんたって可愛げがないのよね…男の人にはアタシできない~とか甘えてやってもらえばいいのに」「そんな言葉遣い(ジャンプね)どこで覚えたのかしら?」

父の「ばかが!」


…全部その通りにちゃあんとなってる。

友達いない
言葉遣いがおかしい
男が嫌い(恐怖ってより嫌いで期待ゼロってあたりまえだ…)
可愛くない
ばか

私には、私の心も意志もないんじゃないだろうか?この頭には、親が一生懸命に吹き込んだことのほうがしっかり刻まれていて、

私は九官鳥のようにただただ真似しているだけなのではないだろうか。


実は、子供の生き方は、
9割親の育て方の模倣らしい。
(そういう研究もあるようだ。違うのもある)

昔のレコード盤のように、刻まれるものだから、まるで異なるものを上書き保存することはできないのだ。

出来うるならば、ロボトミーのように、壊すだけなのではないだろうか。。。



これもまた

「親和性」にすぎない。


決して好きなわけではない。




こうした土台の上にあり、
まんまと私は今の夫といるのだろう。



世の中には、
昔は殴られたりしたけれども今は大丈夫だしと一緒にいる人もいる。
居ざるを得ない人もいる。
暴言が酷くても仕方なしに文句を言いつつ共にいる人もいる。
「そんな人とは離婚しなさいよ」
と無責任にいわれる方がましかもしれない。

「自分の、好きなこともしなよ」なんて反吐がでる。
無責任どころじゃないから(他人ごとに無責任なのは当たり前といえばそうだし)。

「好きなこと、熱中することがないから夫の悪口が出るだけだし、忘れられる」ということだよ。こんちくしょーだよ。

それは、あなた自身でしょう。
本当は相手から大切にされたいのにされないんだ、という不満でしょう。

私は相手が望みを叶えてくれるならば、消えて欲しいよ。この世からさらさらと砂になって消え失せて欲しい。


今、のことじゃなくたって、

ほんとにいやな記憶は人に残るものなんです。

ということは心理学でも言うことで、
忘れないのが当たり前だ。

人間に虐待された犬が人間を怖がるだろう。生き物として当たり前だ。


なぜ、過去のことだし、と虐待された側が水に流さねばならないのだ。それは違う。

今、殺人は時効が無くなった。

時効のないことだってあるんだよ。
傷のあるなしではない。


死ぬしか逃げられない

と、思った。

こいつもろとも死のうか

と、思った。


そこまで追い詰められた。



そこから今の私がいるのであって、
今現在が最もつらい時期ではないんだよ。

峠を越えて生きているんだよ。


それを人は分からない。



平気な人には大したことないだろう。


だけど私には、


もう本当に、、

一家が殺害される、

レイプ、

人工肛門になるような乱暴に遭う

そういったことがなかったのは幸いだと思う。


そういったことは本当に、
被害者だって少なくないから
痛ましいことなんだけど、、、


それよりかは楽な被害だと思う、
というくらいには嫌な目に遭わされた。
まだその流れから出れてはいない、、、


色々なことを無理やりやらされた。
お金もとられた。
むちゃくちゃに、そう取り立てで自殺した人がいると言ったレベルの暴言を、寝かされないではかれ続けるとか、
寝かされないでゲームをやらされるとか、
病院へいかされたこともある、
ファンタオレンジじゃなきゃいやだとあちこちいかされたこともあった(わかる人にはわかるだろう)

本当に私にとってはいやなことをやらされたんだ。

同じ空気を吸うのも苦痛だ。





・・・変わった人間は、

ヤバいほうの変わった人間とも
親和性が高いのだ。

それはつまり、
粘着される、ということでもある。

相手は手練れかもしれないのだ。
羊を手に入れる手練れ。



変わっている人は、

変わっていて、いい人間、
自分を食うわけでない人間を、
しっかりと見定めないといけない。