こんにちは!!
昨日から、
一五一会(楽器)のことをずっと考えています。
打ち上げの会場で、
ある方が、
こんなことを言いました(その方ももちろん、この楽器を愛しています)。
”一五一会っていう楽器はさ、
楽器だけでひとりで演奏をやろうと思うと、それだけじゃなりたたない楽器なんだよね。
ギターだと、ソロで楽器のみでも、いろんなことができるから、大丈夫だけど、一五一会ってそうじゃない・・そこが難しいんだ・・”
そういうと、他の方がこんなことをいいました。(その方も、この楽器を愛しています)
”そうなんだよね、だから、うたと一五一会(弾き語りも含む)、とか、ツイン一五一会、ギターと一五一会、ベースと一五一会、とか組み合わせでいかないと、っていうところがある・・”
その発言がずっと頭の中に残っていた私は、
あることに気がつきました。
それは、、
一五一会とは、そういう楽器なのかもしれない。
つまり、
不完全であるということが美しい楽器なのではないかと。
人間も、
完全じゃないから美しい。
だから、
助けあって、
ささえあって生きてゆく。
一五一会という楽器もきっとそういう楽器だから、
人と人とを結びつけてゆく。
あるいは、
逆説的になるけれど、
人と人とを結びつける、
人間らしい楽器だからこそ、
あえて何かがたりないようにできているのではないか。
だって、
想像してみたら、昨日のボランティア演奏のように、
10人20人もの大勢のギタリストが一緒に、同じステージにのって、同じ演奏をすることがあるでしょうか??
ベースは?ピアノは??・・・
そう考えていくと、
この楽器は、
開発者のBEGINさんとヤイリギターさんがお考えになった範囲を超えて、
ものすごい深い意味と、
メッセージのもとに、
生まれてきた楽器なような、
そんな気がしてきたのでした。