コロナウイルス対策で、自宅から出るのは、仕事と食材などを買いに行く程度になりました。


幸いと言うか、
徒歩圏内に中型スーパー2つがある商店街があり、運動不足解消がてら歩いて行きます。





最近、その商店街で、ある人に2度遭遇しました。


2度と言う事は何かのメッセージか?


と考えていたら、知り合いがストーリーで、
『忘れたいのに、また出てくる』
と話していて、「これだ!」と思いました。


 カエル  カエル  カエル  カエル


私が学童クラブの父母会役員をしていた時、連絡協議会への加盟存続を訴えたにもかかわらず、保護者の反発を受けて困っている時に、横で口角上げてニヤリとしていた人でした。


四面楚歌と言う立場は、こう言う事を言うのだと思っていました。


そして、ここ数年は彼女を許したつもりでしたが、
それって上から目線なんじゃないか?
と思いました。




そもそも存続は必要だったんだろうか?
私が一人で走っていただけだったんじゃないか?


学童クラブの件の数年前に、保育園の父母会を無期限活動休止にした事を反省したこともありました。
当時、休止を惜しむ声も聞かれる中で、
「無くなって良かった」
と言う声も聞きました。


実を言うと、私も保育園の父母会役員はやりたくないと思っていました。
でも、売り言葉に買い言葉で、1年後に役員に立候補しました。
立候補する事も私には必要な事だったと思えます。



物事には表と裏があり、
私自身が末代の運を遂行する為に、彼女を必要としたから呼び寄せた。


…と、考えてみました。


そうすると、全ての辻褄が合うんです!!


私は末代の運なので、物事を終わらせる事も役目の一つ。


私が突っ走った事も、反省も含めて必要だったと今は思えます。

不快な気持ちを味わう事は、私の心の成長の為に必要であり、私が彼女と争う事で、私が退いて彼女に締めくくりのバトンを託す為でもあり。


そんな風に考えたら…

彼女を憎む必要はどこにも見当たらず、
むしろ、
感謝しなければならない事に気が付きました。


感謝する事がどれだけ幸せであるか、
今やっと穏やかな気持ちになれましたキラキラキラキラ


少なくとも、
憎いと思う人ほど感謝しなくてはいけない事を学びました。