昨日の話の続きです。
私は小学生の時、当時としてはかなり忙しい小学生時代でした。
書道とピアノは小学2年生から、
そろばんは小学3年生から通いました。
小学4年生からは叔母が始めた学習塾にも通いました。
小学5年生からは中学受験をする為に、週4日はバスに乗って大きな塾に通い、大学生の従兄弟が週2日家庭教師で来ていました。
受験勉強は別としても、忙しかった記憶が残っています。
書道は漢数字の一を1年間書きました。
でも、地域の書道大会では賞を取りました。
大会では、学校では使わない極太の筆で、特大の半紙に書きました。
翌年も入賞したけど、表彰状の名前を間違えられていました。
大会では賞を取れたけど、小学校の授業の書道はさっぱりダメでした。
そろばんを習いたくて、同じ日に被るので辞めたんだったかな?
一を1年間書いた後は、二や三はアッと言う間に終わったんですけどね。
ずっと何のために書道を、一を1年間書き続けたのかな?
習ったのかなと思っていました。
去年、何気なく古代文字の練習帳を購入しました。
ひふみよいむなやこと
ひふみ祝詞を古代文字で書けるように練習しようと思いました。
私は半紙に筆ぺんで書くのですが、
その練習帳を読んでいたら、
霊力を鍛えるのには書道の筆使いが良いと書いてありました。
3次元の力加減、具体的には小脳なんだそうですが、そこを鍛える事が霊力を鍛える事になると書いてあり、これだったんだ、と驚きました。
その考え方で行くと、いつまでたってもバイエルで下手くそだったピアノも3次元だなぁ、と感じました。
中学受験でピアノもそろばんも辞めましたが、
ピアノは高校に入って合唱部に入り、パートの音取りに必要で、コンコーネや好きな曲を自宅で練習していました。
とにかくコンクールの金賞候補校で、練習は厳しかったので…。
そろばんについては、友達がたくさん通っていたと言う事以外の理由がまだわかりませんが、
暗算がイメージ力を鍛える為に必要なんでしょうか?
それとも、
そろばん塾の春の遠足で、乗っていたゴーカートが制御できなくて転倒し、意識を失った事に意味があるような気もします。
世の中には親がやっているからと言う理由で、始める事も多いですが、
純粋にその競技の取得が目的なら、どんなに辛くても続けられるのではないかと思います。
ただ、私のように潜在意識レベルでの取得理由だとわからない事が殆ど。
中には息子のように身の危険を察知して嫌がる場合もあるので、子供の話を聞いてあげて欲しいです。

