「おやおやストラトちゃん、あんたそんなに弾き易かったっけ?」という感じであり、フィット感においてもSGに引けを取らなくなっちゃってどうしよう?というところ。
ほんと、もうこれ気分次第だろ。(今さら)
ギターはとっかえひっかえしても罪にならんのでよろしい。うむ。
そろそろギター選びも書くことがなくなり、ひとりで煮詰まっている。
ここからが勝負である。
大体、私は性格的にも、バンド内でのポジション的にも、外に向けて何かを発信しているときというのは、その仕事を怠けているときである。
ま、このブログは発信というほどのものではないですけど。
内に向かってこそ、私は成すべきを成せるタイプであると思い込んでいる。
得てして思い込みというものは危険だが、そう思い込まないと浮かばれない根暗さを抱えて35年。
これがたとえ間違いだとしても、間違いだとは気づきたくないし、全力で目をそらす覚悟くらいは出来ている。
世の中に、こうと言い切れることなど少ないかも知れない。
だけど、自分の中にあることは言い切ってよい。
それがどんなに不道徳で、無教養で、思慮も義理もことごとく欠いていたとしても、大丈夫。
歌にするなら大丈夫。
受け入れられない考えに基づく歌は、ただはじかれる。それだけのこと。
ま、単純に人間関係の話となるとね、それはややこしいですけどもね。
どんなにおかしなことを歌っても、そこに実感が伴っていれば、大抵は届くものだと思っている。
納得は得られないとしても、その熱量は届くだろうと。
それだけが大事と言っていい。
正しい歌など、誰にも歌えないのです。
本当の歌だけがあるのです。
嘘八百並べた歌だとしても、嘘八百歌いたいと願って作られたものなら、それは本当の歌だと思います。
どうしても発したい言葉。
どうしても鳴らしたい音。
そういうものだけで曲を構成出来たら、キャップライスはいいバンドになれるだろうなと。
まだまだたくさん、工夫の余地はある。
直球しか投げられないというのは、弱点ではない。
直球において求められる才能は、何も速さだけではないと。
ま、対して野球のこと知らないのに喩えてしまうあたり、この文章の本当でなさを物語っているわけですけどもね。