子供の無邪気はかわいいもんですが、大人の無邪気はアホなんだと私は思ってます。
アホだから悪いということじゃありませんが、アホならアホの覚悟が欲しいと。
覚悟無きアホは、他人に対し迷惑。
ま、子供の無邪気さを手放しで褒め称える大人にも、私は疑問を抱く。
自分の子供の頃を考えてみれば、そんなに無邪気か?子供って?と思う。
けっこう計算高いことも考えますよ、無邪気にね。
子供の無邪気さって、危ういもんじゃないかと思います。
邪気の無い、邪さ。
道ならぬ道を行ってしまった人の話。
あなたが私と共有したいと願っていることは、その罪の意識が半分と、もう半分は罪を犯してしまったことに対する高揚でしょう。
あなたがその罪の実際の重さを理解していないこと、感じてしまいました。
あなたがその道を行くことに対して、私はどうこう言えない。
だけど、その当事者には思いもよらないであろう周囲への影響だけは、思いつく限り述べました。
燃え上がっているときには聞こえない言葉。
文章ならば、いつか冷静に読めるかもしれない。
もしもあなたが今までの人生で、「自分だけは違う」「これは特別な新しいものだ」と信じたものに、いくつも裏切られてきたならば、今回のそれもまた同じようなものであると思えたかも知れない。
それは希望を失ってしまうことと似ている。
やみくもに信じられる気持ちを、失ってしまうことかも知れない。
それは悲しいことのようで、実は新しい扉。
それでも信じる。
そう思えたら、それは単なる思い込みを超えた意志となる。
しかし残念ながら、あなたの言葉からはそれほどのものを感じませんでした。
私のまぶたに浮かんだものは、未知の世界に翻弄され、浮かれ、地に足のついていないあなたの姿。
私があなたを見くびっていたとしたら、ごめんなさい。
子供の無邪気さで乗り越えられる問題とは到底思えない。
私たちはその程度には歳を取り、取り巻く状況もややこしくなっている。
知りませんでした、で済むようなことはほとんどなくなってきている。
あなたが右肩上がりに上っている道が、私には下り坂にしか見えないのだ。
それは単に私の悲観主義が見せる幻想かも知れない。
それに私は、近しい人が傷つく姿を見たくない。
だけどその傷が、悪いものばかりとは限らないし、傷にすらならない可能性もある。
どうかお気をつけてと祈るばかりです。