自業自得、因果応報、って仏教用語なんすね。


私、当然、仏教をはじめ宗教全般に詳しいわけでもなんでもないですし、どちらかというと忌み嫌っている側の人間と自負しております。


ただ、日本人である以上、仏教の思想には深く影響されているんだろうなぁとは感じています。


昔話、おとぎ話の類は、どれも仏教的思想に基づくものが多いですし。


いいことをすればいいことが、悪いことをすれば悪いことが還ってくる。


そういう考え方を受け入れる準備は、子供のころからの刷り込みによって出来ており、そして今現在も、こういう考え方を持つことが別に嫌でもないです。


なーんとなくですが、そう言われると「そんなもんかもね」と思う自分がいる。


私には仏教ってフランクなんですよね。


まぁ、ほかの宗教については、キリスト教の聖書をパラパラとめくったほどしか知りませんが。


仏教の教えって、「あ、なんかそういうことあるある!」みたいな感じで、それはもうレイザーラモンRGのあるある見てるような感じに近い。


RGは宗教なのかもしれない。




そういうふうに接する限りにおいては、仏教は興味深く思っています。




しかし、宗教周りにはよくわからないお金が付き物であり、私の親類にも宗教家がいるので(そのせいで私の宗教嫌いは決定づけられたりするのですが)、彼らの生態がいかに禍々しいかというのを肌で感じているのであります。


ま、うちの親類に限った話をさせていただくと、まずその人からありがたい話を聞いたことがない。


二言目にはお金の話。


なクセに、諸々の祭事におけるパフォーマンスだけはご立派。


他にも挙げればキリがないですが、身内の恥ということで伏せておきます。


とにかく、そういう人を身近に感じながら、私はどんどん宗教が嫌いになっていきました。


それでも、仏教的な考え方に影響されているのは事実だと思っています。




自業自得と因果応報。


このふたつが抜け落ちている人の愚痴話は、聞くに堪えないものがあると感じています。


特に人間関係における愚痴の場合にそれは顕著です。


人と人との関わりは、「人は自分を映す鏡である」というように、自分の姿が相手に投影されるものと私は思います。


ひょっとするとこれも仏教の教えに由来するものかもしれません。


たとえそうだとしても、もちろんこれは前述したとおり、私が特別仏教に肩入れしているわけではなく、日本で生まれ育って自然と身についた考え方であると思っています。


話を戻しまして、人と人との関わり。


相手が理不尽な態度をとる場合や、わけのわからないことを言い出したりするとき、その元をたどれば、自分の態度によって相手に与えている不満やストレスが原因の一つであることは、意外とよくあることじゃないかと思うのです。


たとえば、何らかの原因で、こちらがコミュニケーションを意図的に避けている相手がいて、適当な受け答えのみでその関係を済ませているとして。


ある日、その相手が全くわけのわからない内容で自分を非難したり、突飛なことを要求してきたりする。


それに対して、そのわけのわからなさに自分は戸惑うし、嫌悪感すら抱いてしまう。


しかし、そもそも自分がコミュニケーションを避けている相手と、正常なコミュニケーションが取れるわけがない。


ごく当たり前の話だと思います。


本音を言えない間柄で、相手が何を考えているかわからず、そのことによって生ずる疑念。


それがきっかけとなり、相手に対する悪い想像が自分の中で膨らんでいく。


自分を守るための予防線としての悪い想像を踏まえての、相手とのコミュニケーション。


こんなものがうまくいくはずがない。


ま、これだけが原因ではありませんが、こういうケースで人間関係がこじれることはよくあります。


私はこれも、自業自得や因果応報のひとつだと思っています。




しつこいですが、自業自得、因果応報、このふたつが抜け落ちている人の愚痴は、大抵「相手がこんなことを言った(した)、それがむかつく」というふうに、直前に起こった事柄に対しての感情のみを述べる場合がほとんどです。


「ちょーむかつく」を連呼する子供と、何ら変わりないことです。


その「ちょーむかつく話」を聞かされ、「ちょーむかつくよね、それ」と同調することだけで済んでしまう場面が案外多く見られ、それに対してゾッとすることも多し、です。


ま、それが職場での愚痴や、コンビニや飲食店の店員などに対するものであるなら、逆にここまで考える私のほうがキモいってことになるのですが。


人生を左右するような、重要な相手や局面においても、同じような態度で接している人は、少し心配になります。




偉そうに言ってますが、私だって自分に原因を求めるなんていう行為は苦手です。


「自分が絶対的に正しい」と思って生きている人など少数だと思いますが、自分の責任が問われる場面において、自分に非があるとは認めたくないのが人情。


その突発的な感情を抑えるのは簡単ではないと、しょーもない私は実感しています。


ただ、それをいつも頭の片隅に置くことができれば、カチンときたときに「おいおい待て待て」と、頭の中で穏やかな顔をした「藤岡弘、」が落ち着いた低音で諌めてくれるんじゃないかと思います。




長い話になりましたが、要は相手がなぜそんなことを言うのかを想像すること。


想像は想像でしかないですが、「自分の態度や言葉が、それを言わせているのかもしれない」という視点を持ってたほうが、誤解も諍いも少なく過ごせるんじゃないですかっていうお話です。


「こいつを悪者にしよう、自分は悪くないことにしよう、責任は全部こいつ」


そういう考えが透けて見えるのはみっともないですし、それが知り合いだと悲しい気持ちになります。