過去はいつもキレイなもんだとか言そうけど、私はあんまりそうは思えなくて、そりゃ考えられないくらいに肉体を酷使したり、全力疾走の記憶は美しくはあるんだけど、それと同時に若さゆえの失態も思い出されるわけで、あの頃が輝いてたかどうか聞かれると、今とそんなに変わりませんよだって所詮は同じ人間ですから…と答えざるを得ない。

どこかで自分が変わった、そう思う人は過去を美化するんだろうか。

私の人生はそんなふうに途切れてない。他人にもなってない。何か事件的なものは人様並みにあったかもしれないが、その都度…というか、常に連続して自分の判断で生きてきたので、その責任は取らなきゃいけない。
だから過去は輝かない。
かなり緩やかな、ほとんど平地といっていいような傾斜としても、私の人生は右肩上がりと思っている。

過去が輝いている人たちは、私の偏見かも知れんが、大抵が世間の常識的な大人としての価値観に絡め取られている。
おそらくそこに身を置いた時点で、常識的な判断とやらの前に思考放棄し、そのために責任も放棄している。
常識的な判断はこうだから、こうしなきゃいけない。自分のせいじゃない。
そうして常識に席を譲ってからの自分は別物と考えているのじゃないだろうか。

ま、そんな偏見は馬鹿の妄想としても、あまりにも過去を美化する話の流れには乗っていけないなぁという苦笑いもしばしば。
だってここからのほうが長いし、多分。
ずっと振り返ってるのも、ずっと疲れてるのもイヤだからね。
過去なんて恥ずかしいことばっかだよ。今のほうがちょっとマシだよ。