どうにもやっぱ揚げ足取りばかりが目についてイヤな気持ちになることが多かったけど、今朝ツイッターからいい文章に出会ってホッとしてる。

絶対賛成、絶対反対、その二極がより事態を悪いほうへ進めてしまう仕組みを理解できた。

ま、言われてみれば当たり前の話で、おそらく多くの人が肌で感じていることなのだと思う。

原発の問題のみならず、ごく身近な暮らしの中にもそういう局面はあって、誰しもが○か×かで分けられるわけじゃないことを知ってる。

相手を排除するべき敵と見なしたとき、人は恐ろしく非情になれる。

自分の主張の全てを正しくし、相手の主張の全てを誤りとしたい。そんな精神状態になるのかも知れない。

でも多くの人は、誰にでも間違いはあって、簡単に変われない事情があるのを知ってる。

だから熱心な運動家やグループに対して、少し違和感を覚えるのだ。



今までそういったことを感覚でしか捉えられてなかったけど、その文章によって言葉で理解することが出来た。

書いた人の名前もうろ覚えで、携帯からの更新なのでリンクも張れないけど、自分にとってありがたい文章だったな。



もう一度、確認。

賛成だろうが反対だろうが、互いに糾弾するだけでは問題は悪化する。

停滞ではなく悪化するのだ。

ある程度の寛容がなければいけない。

ま、痴話喧嘩でもそうやもんな。

たとえば嫁は旦那の浮気を、旦那は嫁の無駄遣いを元に喧嘩になったとして、お互いに自分が正しいと主張してもそもそもズレてるし。

馬鹿げてるけど、そういうのがこじれることは結構あるように思う。

そこで冷静になって、相手がそうしてしまった原因を想像すれば、あぁこっちがガミガミ言ったり、関心が薄かったり、寂しい思いをさせたから、どこかに逃げ道を作りたかったんかなぁ!?と思えるかも知れない。

そういう寛容さが大事なんだろう。

ただ、片方のその寛容さに乗っかってつけあがる奴もいるので、これが事態をややこしくさせたりするんだけどね。

自分はそうならんとこうと思う。