最近は風邪と縁がなく、もう二年くらい風邪ひいてないんじゃないかと思ったが10月にひいてた。

全然覚えてない。

ひとり休憩の暇に任せて過去のブログを漁っててそれに気付いたのであるが、やはり過去に書いたことは恥ずかしくて読んでられない。

恥ずかしい。

いや、何年も続けてるので散々思い知ってることだけど、特にここ1年は酷いと感じる。

しかし、そのときそのときの思いつくがままを記しているので、私が恥ずかしい人生を生きているということだろうから仕方ない。

恥ずかしい人生を生きてる奴がカッコいいことを書いてたら、それはウソだし結果もっとカッコ悪い。

恥ずかしいなりにそのまんま、というのは、そんなに嫌いなことじゃない。



久しぶりにギターの話でも。

私の所有ギターの中で抜群に好きな音が出せるのはテレキャスで、溺愛しているのはレスポールスペシャルだ。

セッションとかに持ってくなら、このどちらかを選ぶだろう。

しかしバンドの中でいい音かどうかは別である。

自分が好きなギターの音を鳴らすか、バンドの中で必要な音を鳴らすか。

正解はなく、人それぞれ、バンドそれぞれのやり方があるだろう。

私の場合、ひとりのギター好きでありながら、バンドにおいて曲のイメージの方向性を担う立場であることから、この判断は非常に難しく、常に揺れ動く乙女の恋心のごとく不安定感を抱えている。

が、答えは出ている。

バンドの中でのバランスを重視すべきだ。

誰よりも私がそれを求めているのだ。

たまに頭をもたげるワガママ。

ギター単体の音色の誘惑に負けてしまう、情けない志し。

それが結局、バンドの進む道を阻んでいる。

私はバンドの音の完成のみ望むべきだ。



好きな音を出して、好きなようにやる。

それはロックバンドにおいてあたかも正論のようではあるけど、全てではない。

音楽は調和であると疑わない。

どんな激しい表現をしたって、素晴らしい音楽には調和がある。

例えば、誰かがアホみたいにボリュームを上げてしまえば、それだけで音楽は壊れる。

凌ぎを削るようなバンド内のやり合いは好きだけど、単純にボリューム上げるのは違う。

ロックスターがどんなに悪ぶっても、最低限のルールを守ってるから、音楽は成り立っている。



我々ごとき演奏力のバンドがこの調和を無視して、どんな音楽が生み出せるっつーの。

私が考えるべきは、いかに歌うかというところであり、そのためのバランス…のためのギターの音色を選ぶのが当然。

気持ちよく歌うのが私の仕事。

それを忘れない。

もういい加減、忘れてる場合じゃないよ。