嬉しいことや喜び。

それを言葉にしようとしても、うまく変換できない。

言葉というツールは、まだまだ未発達であり発展途上である。

私が言葉を知らないというのもあるけど、感情の深さや広がりを言葉で全て表現するのは難しい。

だからこそ、素晴らしい文章との出会いは感動的であるし、音楽、映画、絵画などの芸術表現が重宝されるのだ。

人は話せるからと言って、言葉のエキスパートではない。



言い表せないことは沢山ある。

それを埋めるのは芸術だけではなく、信頼もそのひとつである。

これは多分に勘違いなどの危険性を伴うが、それが幸福感をもたらす類のものなら、深く考えず受け入れるとよいのではないか。

私のクロマニヨンズのアルバムに対する思い込みの中に、確固たる事実は何もない。

あるのは私の精神においてのみ有効な真実だけだ。

しかしそれの何ひとつも間違ってはいない。

自分にのみ有効。

これさえはき違えなければ、何ら問題はない。



信じて、応えてくれた。

そういう手応えからの幸福感。

いささか盲信的かも知れないが、確かな感情である。

嬉しい。



意味のない言葉の羅列?

そう断じるのもいいし、隠された意味を信じるのもいい。

私は音そのものにメッセージを感じるな。

それもいいじゃないか。

完璧なロックンロールさ。

…ほら、言葉は陳腐だ。