クロマニヨンズと斉藤和義のそれぞれの新譜、どちらかを買おう(どちらかレンタル)と数日悩んでいたが、今日、クロマニヨンズ「Oi! Um bobo」を買ってきた。
ヒロトとマーシーは変わらずそこにいた。
自分たちのやりたいことを、やりたいようにやる。
そのための必要最小限の道具だけを使って。
不必要なものは剥がしていった。
カッコいい音をモノラルに求め、アナログ盤に恋い焦がれ、その音を出来るだけ遜色なくデジタルに落とすため、Blu-spec CDを選んだ。
これは最新技術でサイボーグ化した最近の音楽へのアンチテーゼなどではなく、ただ単純なる欲望の追求であると僕は思う。
アホほど金をかけなくても音楽はやれる。
当たり前に最低ラインとされる技術など、実は必要ではない。
そんなことを思い知らされるが、クロマニヨンズには関係のないこと。
ヒロトとマーシーは、ただやりたいことをやるだけ。
シンプルな演奏ではあるけど、限界まで削ぎ落とそう、とかいうコンセプトがあるわけでもない。
大好きなロックンロールを表現するための、最大限の音が詰め込まれている。
それがただ、どシンプルなバンドサウンドとして聴こえるだけだ。
実際に音を聴いて、またしてやられたと思った。
ある程度、予想は出来たことだけど、こうして音として受け取ると、恐ろしいほどの説得力にねじ伏せられる。
このアルバムは、沢山の音楽(ロックバンドものに限定したとしても)に触れる人たちが、必ず聴かなければいけないものではない。
前作MONDO ROCCIAかこちらかを聴けば、感じるものはさほど変わらないだろう。
音楽的な喜びとして得られるものは、同種類といって間違いはない。
でも僕がこのアルバムを購入したことを後悔するどころかむしろ喜びに満ちているのは、ずっと追いかけてきたヒロトとマーシーの最高傑作に出会えたからだ。
前作からの変化は大きくはないけど、確実にこれは最高傑作だ。
ヒロトとマーシーは、これまで影響を受けてきたであろう音楽の全てを、最小単位のロックンロールバンドに凝縮し、表現することに成功している。
上澄みだけを掬い取ればシンプルなロックンロールという一言で片付けられそうな今作だが、それぞれの曲とその演奏者の根底に感じられる豊かな音楽的広がりは、聴き流すにはあまりに惜しい驚きと喜びに満たされている。
2nd CAVE PARTY、3rd FIRE AGEのほうがバラエティー豊かに聴こえるかも知れないし、それも正解かも知れない。
だけど僕は、MONDO ROCCIAとこのOi! Um boboの方により強く、音楽的な豊かさを感じる。
パッと見ではない、借り物ではない、独自のスタイルとの深い融合を感じるのだ。
これはつまり、ギターとベースとドラムが鳴ってヒロトが歌っている、あの初期ブルーハーツで僕が憧れたスタイルそのままでの、音楽的進化の可能性を証明したということではないだろうか。
僕は救われる。
僕の根本とも言えるこのスタイルでは、すごく狭いところでやらざるを得ないのかなという考えが少なからずあった。
だからいろんな物を取り入れようと、外にある物に手を伸ばした。
でも結局、やりたいことがぼやけるばかりで、ほんとにやりたいことにはならなかった。
ヒロトとマーシーは、いつもと変わらぬ素振りで、同じやり方で、広げてみせてくれた。
僕もまた、今まで聴いてきたものを、やりたい形に落としていけるのではないか。
なんつって、そんな簡単なものではないが、可能性はあるのだ。
ヒロトとマーシーが示してくれた。
これぞ現代日本のロックンロールをリードする存在として、あるべき姿ではないだろうか。
さすがっす!先輩!
そんなわけで、私的にはマストなアルバムですが、万人にはお勧め出来ません。
ヒロトとマーシーに引きずり回されて生きてきた方なら、もうとっくに聴いているだろうし、もしここからヒロトとマーシーに手を出そうという方ならば、このアルバムが最適かどうかなど僕にはわかりません。
人によっては聴くほどでもないだろうし。
万が一、僕のような状況で自分の音楽に行き詰まり、そしてこのアルバムで解放されたという方がいらっしゃれば、呑みに行きたいっす。
ヒロトとマーシーは変わらずそこにいた。
自分たちのやりたいことを、やりたいようにやる。
そのための必要最小限の道具だけを使って。
不必要なものは剥がしていった。
カッコいい音をモノラルに求め、アナログ盤に恋い焦がれ、その音を出来るだけ遜色なくデジタルに落とすため、Blu-spec CDを選んだ。
これは最新技術でサイボーグ化した最近の音楽へのアンチテーゼなどではなく、ただ単純なる欲望の追求であると僕は思う。
アホほど金をかけなくても音楽はやれる。
当たり前に最低ラインとされる技術など、実は必要ではない。
そんなことを思い知らされるが、クロマニヨンズには関係のないこと。
ヒロトとマーシーは、ただやりたいことをやるだけ。
シンプルな演奏ではあるけど、限界まで削ぎ落とそう、とかいうコンセプトがあるわけでもない。
大好きなロックンロールを表現するための、最大限の音が詰め込まれている。
それがただ、どシンプルなバンドサウンドとして聴こえるだけだ。
実際に音を聴いて、またしてやられたと思った。
ある程度、予想は出来たことだけど、こうして音として受け取ると、恐ろしいほどの説得力にねじ伏せられる。
このアルバムは、沢山の音楽(ロックバンドものに限定したとしても)に触れる人たちが、必ず聴かなければいけないものではない。
前作MONDO ROCCIAかこちらかを聴けば、感じるものはさほど変わらないだろう。
音楽的な喜びとして得られるものは、同種類といって間違いはない。
でも僕がこのアルバムを購入したことを後悔するどころかむしろ喜びに満ちているのは、ずっと追いかけてきたヒロトとマーシーの最高傑作に出会えたからだ。
前作からの変化は大きくはないけど、確実にこれは最高傑作だ。
ヒロトとマーシーは、これまで影響を受けてきたであろう音楽の全てを、最小単位のロックンロールバンドに凝縮し、表現することに成功している。
上澄みだけを掬い取ればシンプルなロックンロールという一言で片付けられそうな今作だが、それぞれの曲とその演奏者の根底に感じられる豊かな音楽的広がりは、聴き流すにはあまりに惜しい驚きと喜びに満たされている。
2nd CAVE PARTY、3rd FIRE AGEのほうがバラエティー豊かに聴こえるかも知れないし、それも正解かも知れない。
だけど僕は、MONDO ROCCIAとこのOi! Um boboの方により強く、音楽的な豊かさを感じる。
パッと見ではない、借り物ではない、独自のスタイルとの深い融合を感じるのだ。
これはつまり、ギターとベースとドラムが鳴ってヒロトが歌っている、あの初期ブルーハーツで僕が憧れたスタイルそのままでの、音楽的進化の可能性を証明したということではないだろうか。
僕は救われる。
僕の根本とも言えるこのスタイルでは、すごく狭いところでやらざるを得ないのかなという考えが少なからずあった。
だからいろんな物を取り入れようと、外にある物に手を伸ばした。
でも結局、やりたいことがぼやけるばかりで、ほんとにやりたいことにはならなかった。
ヒロトとマーシーは、いつもと変わらぬ素振りで、同じやり方で、広げてみせてくれた。
僕もまた、今まで聴いてきたものを、やりたい形に落としていけるのではないか。
なんつって、そんな簡単なものではないが、可能性はあるのだ。
ヒロトとマーシーが示してくれた。
これぞ現代日本のロックンロールをリードする存在として、あるべき姿ではないだろうか。
さすがっす!先輩!
そんなわけで、私的にはマストなアルバムですが、万人にはお勧め出来ません。
ヒロトとマーシーに引きずり回されて生きてきた方なら、もうとっくに聴いているだろうし、もしここからヒロトとマーシーに手を出そうという方ならば、このアルバムが最適かどうかなど僕にはわかりません。
人によっては聴くほどでもないだろうし。
万が一、僕のような状況で自分の音楽に行き詰まり、そしてこのアルバムで解放されたという方がいらっしゃれば、呑みに行きたいっす。