仕事のルール。

家族のルール。

ご奉仕のルール。

対人関係のルール。

あらゆる場所にルールはあるのだけど、その中に溶け込まない自分の気持ちは、全く否定する必要はない。

現時点でわかり合えない人とは、軋轢が生じて当たり前なのだ。

当たり前すぎる。



だから怒られてよい。

怒らせる必要はないんだけど、自分が気持ちに正直にあって、それで怒られるなら仕方ない。

怒られるのは嫌だし、人間それぞれ違うんだからお前の意見や一般論を押し付けんなと思うけど。

ただ特に仕事なんかは、効率とか何とかが重要な世界なので、算数みたいに正解が定まってることが多いのだろう。

その答えに沿えない自分は、仕事のルール的には欠陥があると判断されるべきなのだ。

たが断る。

いや、謝る。…のほうが正しいか。

仕事の人として頭は下げる。

でもただの人間としての自分のド真ん中は、否定しない。



もし僕がこれから偉い人になれなくても、もし僕が99%の人々に否定される人格だとしても、ド真ん中は曲げない。

曲げたら自分が自分を認められなくなる。

それに勝る不幸はないだろ。

今がその不幸に近いのだ。

ド真ん中を見失って、どう足掻けばいいかさえわからなくなってる。

内側に基準がないんだもんな。

そらそうなるわ。



なので、怒られたい。

怒られるような生き方が出来れば、ド真ん中に居られる。

中2らしさがないと駄目だろ。

過剰な自意識は棄てるもんじゃなく、馴染ませていかなきゃいけない。

棄てた先にはしょーもないオッサン街道が待ってるだけ。

オッサン街道にはしょーもないスナックがたち並び、夜な夜なしょーもないオッサンがしょーもない会話と酒を嗜んで、しょーもない明日のためにウコンを飲むのだ。

そんなのやーだー。