ガキの戯れ言だと大人は言う。

僕も大人の年代になってもうたのだ、すっかり。

ブルーハーツが僕にとって他のものと全く違ったのは、それを音楽的な価値としてほとんど見ていないこと。

小6の僕は、生きる術が記された指南書を読むようにブルーハーツを聴いていた。

その当時、自分が抱えていたジレンマや葛藤など、大したものではなかっただろう。

だけどブルーハーツが引っかかったということは、それを必要とする精神状態にあったのだと思う。

未だにパンクの精神やら歴史などはあまり知らない。

ピストルズだって音楽としてしか知らない。

ブルーハーツはロックの入り口ではなく、意識の入り口だったのだ。



そこに刻まれた言葉に、今の僕はまだきっと奮えるのだ。

誰が笑っても、今のヒロトが笑っても、僕はブルーハーツと生きている。

人の心は弱いから、僕の気持ちも変わってしまう。

忘れてしまう。

誤魔化されてしまう。

だけどあの場所は帰るべき場所ではなくて、今のこの場所なのだ。

引き摺って、傷だらけで、あちこち千切れて、ボロボロにしちゃったけれど、この場所をずっと動かない。



気持ちに正直であれば、ずっとひとりかも知れないけれど、それは偽らざる人が築く(気付く)人間のありのままの孤独だ。

自分の孤独を突き詰めることで、他人の孤独を知る。

それを知るからこそ、困ったときは助け合える。

そして離れても繋がっていられる。

お前の複雑な内面なんて理解しようがない。

俺のだってそうだろ。

繋がりなんて物質や思想では保てない。

誰もが避けられない孤独の共有こそが繋がりなのだ。



ブルーハーツが聴きたい。

気弱な俺を蹴飛ばしてくれる。