大人でも子供でも、競争が苦手な人間はいるのである。

定められた単一のルールの中で競うとき、人は自分ではない自分を演じなくてはいけない場合がある。

スポーツの世界にはそういう強制力が大きく働く場合が多くて、だから決して運動自体が苦手ではなくてもスポーツは嫌いという人はいる。

僕も現在のように監督業を任されるようなことがなければ、競技スポーツに関わることはなかった。

ま、年齢的なものも今ではあるけれど、競技スポーツとは高校時代に決別したのだ。



僕が関わっているチームは競技半分お遊戯半分のスポーツなので、集まってくる子供たちも様々。

2年生くらいから既に将来が楽しみな運動神経と負けん気をもった子もいれば、6年生になっても真剣さに欠ける子もいる。

それぞれの個性は決して否定すべきものじゃないけど、そこはやはりスポーツであり、団体競技でもあるので、何らかの形で統率しなければチームとして成立しなくなる。

なあなあと情熱の間。

このさじ加減を保つのが、一番の苦心のしどころだ。



端から見た父兄は気楽に言う。

「子○会の集まりなんだから、楽しくやればいいじゃない」と。

しかし実際に大勢の子供たちに直に接すると、そう簡単な考えでは済まなくなる。

やる気のなさひとつを取ってもその理由は様々で、勝ち負けに頓着がないとか、不慣れなことに身構えてるだけとか、負けるのがイヤだとか、その日の気分だとか、一概に決めつけられることなど皆無に等しい。

なので、常に様子を観察し、性格を把握し、そして変化に敏感でいないと、チームを維持することすら困難なのである。

実際、僕が入った当初のチームは、ただ子供が集まって遊んで帰るだけのものだった。

練習がある日に2人しか来ないとか、平気であるチームだった。

それが悪いとは言わないけれど、それでは休日返上で携わる者どうし(大人も子供も)何の張り合いもなくなってしまい、あとは廃れるだけ。

一部の大人はそれでもいいと言った。



だけど、それから2年間活動してきて、子供たちがスポーツを楽しめるようになることを知った。

これは僕がそのスポーツ(に似たスポーツ)の経験者であったことも大きな要因だけど、とにかく僕は面白さを伝えたかった。

何も出来ないうちはそりゃ楽しくないけれど、練習を続ければ、こんなに楽しくなるんだよ…ということをわかって欲しかった。

このときは、単に経験者としての意地。

俺は知ってるんだ、その面白さを…お前らがつまらなそうにやってることなんて、まだ入り口ですらないのだ!バスケなめんな!!

という気持ち。

だけどそれをずっと続けていたら、次第に子供たちの中から「勝ちたい」という気持ちを持つ子が現れはじめた。

それを受けて、僕も勝つということを考え始めた。

このような経緯があるので、今のチームは僕や他の大人が作ったものではなくて、子供たちとの相乗効果で出来たものだと自負している。



話を最初に戻して、競うことが苦手な人間はいる。

それが子供の場合は、競うことを知らない場合もある。

積み上げた努力をぶつけ合うことなど、知らない子供がほとんどだと思う。

それを知った上で、競うことが苦手な子供もいるだろう。

だけどそういう子にも、チームの繋がりや意志疎通の楽しさは伝えられると思うのだ。

そして、そういったバラバラな個性を束ねるチームという集団には、固定された方向性が必要だ。

その方向性(たとえば勝利)が絶対ということではない。

その方向性を持つ集団の中で、どんな気持ちになるかという体験が重要。

大人も子供も。

だから、やれる範囲の最善を尽くして、僕はこのチームに接するのである。



「楽しくやればいい」という端の大人に聞きたいのは、子供たち一人一人の楽しさをどうやって計るの?ってことである。