何千マイルもチャリに乗っても、誰に認められることもないじゃろう。

認められたとしても、それは行為に対する評価であって、僕という人間が認められるわけではない。

記録をもたないイチローならば、もっと鼻につくイヤな奴の部分が目立つだろう。

何かを成し得た人は、誰しもその人間性を誤解されている。

直接、長期的に付き合ってみないと、行為を離れたその人そのものは見えない。

だから、コミュニケーションを大事にしたい。

めんどくさいことも多いけど。



…と、いうことを思った上で。

コミュニケーションを苦手とする人だからこそ、その表現に熱を帯びるのだと思う。

直接の対話でもって完全にコミュニケーションを成立させられる人には、その他の表現の意味が薄くなるんじゃないかなと。

言葉に出来ないけど伝えたい。

それこそが原動力。

だから、こうして文章を書くのは、唄を作る人間としてはするべきじゃない行為なのかも。

曲がりなりにも、文章に若干の上達があるとすれば、それと引き換えに唄に乗せるべき情念が幾分か削がれているのかも知れない。



割と切実にそう思うので、もうあまり一生懸命にブログは書かないでいようと思います。

もっといい加減な気持ちで書く。

そう、いい加減な気持ちで書くなら、ツイッターて楽でいいのだ。

いやいやどっちもどっち。

歌詞を書こう。