きれいごとばかりの昨今の流行歌の歌詞には辟易するばかりだけど、きれいごとのない世の中は荒んでばかりでイヤだな。

同じきれいごとの歌詞でも、その言葉が借り物だらけの上っ面か、それとも苦悩の末に導き出された答えなのかは、聴く人が判断すること。

ただ、その苦悩の末に導き出された答えも、その人の人格の最も研ぎ澄まされた部分。

いわば蒸留水のようなものではないじゃろか。

その人だって、揺れるひとりの人間だと、僕は疑わない。



逆に、心の内に情けなさやだらしなさ、不安や不満を沢山かかえた人だからこそ、苦悩し、その末に、最高到達点としてのきれいごとを唄えるのではないじゃろか。



リアリズムだけじゃ、僕は寂しい。

きれいごとを信じる気持ちがあってこそ、リアリズムが身に沁みる。

半信半疑で、理想へ突き進むのである。

そしてゴールはなくて、いつも揺れている。

いや、理想を捨てたら、揺るぎないゴールはあるのかも。

そのゴールは、つまらない予感でいっぱいである。