愛ってなんじゃろか?と考えるときがセンチメンタルな気分のみなさんにはあるかと思います。


私もたまにあります。


愛というのは、愛であって、それ以外の何者でもない。


ジャンケンで負けた娘婿の代わりに隕石に突っ込んで死ぬのも愛かも知れないし(アルマゲ)、共に生きたい者の為に闘った相手に命乞いするのも愛かも知れない(バガボン)。


愛というのはなんだか微妙なもので。


それを他の言葉で表現すると、何だか違うものになってしまうことが多いです。


だから愛ってわかりません。


私のような愚民には、それは感じたときにだけ見つけられるもののように思います。




誰かの悩みというのは、他人にとっては、それを知ったところでどうでもいい物と感じられたりするものです。


他人の気持ちはよくわからないから、打ち明けられたところで、めんどくさく感じてしまう場合もあるかと思います。


ほんと、他人の気持ちはよくわかりません。


悩みを打ち明けられたとしても、「だけどお前友達いっぱいいるじゃん」とか「だけどお前、金持ちじゃん」とか「まだまだ若いじゃん」とか、そういう悩みと関係のない部分で、「自分よりマシだよ」みたいな、「誰でもそれくらいの悩みは持ってるよ」みたいな気持ちを持ってしまいます。


たとえば私は、そういう小さい人間です。




他人の気持ちはわからない。


わからないことというのは、結構めんどくさいものです。


そういうことを打ち明ける側もわかっているから、どうしても胸に秘めたまま一人で抱え込んでしまう。


そのまま一人で解決、もしくは抱えたまま生きられる強い人間ならいいけれど、誰しもがそうであるとは限らない。




だから私、家族、友人、知人の方々には、何でも話してもらえるような人間になりたい。


こんなところで発表するようなことじゃないですけど。


恥ずかしいですけど、なりたい。


私なんぞ、何の力にもなれないかもしれないけれど、そうなりたい。


誰かに話すだけで楽になれるっていうこともあるじゃないですか。


私もそういうとき、ありました。


悲しいことになってしまうより、めんどくさいことのほうが1000倍マシです。


私は無責任な人間ですけど、どうかひとつ、よろしくお願いします。