それで差別するというわけではありませんが。


元ジャンキーで、ハードゲイ。


扱い辛さが手に余り余って、結果的に聖人扱い。


マッキーさんのメディアでの扱われ方は、なんかすごいなと思います。




私の自論でありますが、人の心に響く曲を作れる人は、人間的にろくでもない人が多いと思います。


いや、ろくでもないというと御幣を招きそう。


ソフトにいうと「人と違う感性を持った人」ということになるでしょうか。


そんな表現、嫌いですけど。




抑えきれない欲求を持っている人ほど、その表現には、鬼気迫るものがあると信じます。


だから、いい曲を作る人は、表現以外の社会生活において、決して誰しもに受け入れられるような人間ではない。


私はそう思います。


メディアではその表現を褒め称えられ、時に人間性までも一緒くたに肯定される人もいますけど、そういうのは信じてはいけない。


と、私は思います。


そういう人、社会の中では、きっと付き合いにくい人ですよ。




ただ、私はそういう人を嫌っているわけではなく、むしろそうあるべきだと思うし、自分自身がそうありたいとも思います。


だからご奉仕の人たちとは、深く理解しあう必要はない。


いや、そんな話じゃなくて。




表現することに自身が関わらず受けるだけの人というのは、やはり表現者に対して幻想を抱くもので。


私にも特定のアーティストに対してはそういう気持ちもあるわけで。


ただ、その対象を妄信してしまうのは怖いなぁと思う。


まぁ、どうでもいい話です。




一人一人が全く違う人間なので、良い・悪いの判断基準を誰かが押し付けるようなことが、通用するわけが無い。


そう考えると、社会のシステムというのは、全てが矛盾して、破綻している。


好きか、嫌いか、それしか信用できるものはなく。


好まざるものばかりが身の回りに溢れたら、これは相当生きづらい世の中でしょう。


好きなものを共有できる人だけで、集まって生活できたらいいのになぁ。


で、違う考えの人とは、あんまり深く関わらなければいい。


無理矢理ひとつの意見に統一しなくていい。


違う考えの人も生きてて、「ああ、あの人とは違うなぁ」と思ってればいい。


アナーキーって大切な考え方だなぁと思います。


ただそれを実現するのは大変で。


それが大変な世の中ってめんどくさいと思いつつ。


でもその世の中に守られている部分もあるわけで。


じゃあ5割くらいはアナーキーな気分でいようかと。


何でもかんでも振り切っていればいいってもんでもないと、最近は思います。


生き方は予め決めておく必要はなく、その都度その都度の判断が、振り返れば生き方というものになっているのかもねぇ。


書いてる私が、わかったようなわかってないような。


頭の中はいつもフラフラのフワフワで、それでいいかという気持ちが8割。