ズッポリはまりこんでしまうような音楽に、最近は出会っていない。


音楽は記憶と直結するようなところがあるから、思春期に聴いた音楽を(またはそれに似た音楽を)、生涯通じて求め続けるようなところは、否めないのではないかと思いますが。


私なんぞは邦楽から、まずは唄として、音楽と出会ってしまいましたので、歌詞の部分での共感という要素が重きを占めてしまっていて。


だからまぁ、いい加減歳をとって、それなりに自分としての世の中の見方というものがある程度固まりつつある(のかも知れないという予感のレベルであっても)現在、歌詞を聴いてしまうと、どうにも乗り切れない部分がどんな音楽にもあって。


それでもやはり、歌詞がいいなぁと思う音楽には出会うのですがね。


今度はギターの音が気に入らないとか、音に関するいちゃもんが浮かんできてですね。


あまり素直に音楽が聴けなくなっているような気がしてます。




私にとっては、他人が作る音楽が、自分が曲を作るための参考資料のようになっているのかも。


そういう部分は、結構前から感じているのですが。


もっとこう、自分と他人を切り離して考えていきたい。


誰かが演奏する音楽は、単純に聴くものとして受け取りたい。


「自分ならこうする」とか思うの、しょーもないよ。下品だよ。




私にとって、もっとも健全に音楽に関わっているときというのは、やはり自分が作っているときや演奏しているときだと思うし、それが少ないという今の状況が、聴く耳すらも不健全にしている。


自分の音楽に集中して取り組んでいるときは、やはり他人の音楽って新鮮だもの。


ああそうか。


自分がやれてないときって、自分が求める音を他人の音楽に求めてしまうのか。


それはいかん。痴漢アカン。




ヒロトとマーシーは、ずっとレコードを聴いているらしく、それってすごいよなぁと思うのです。


知人にも、バンドをやりながら音楽をいっぱい聴いている人はいるし、やっぱそれってすごいよなぁと思うのです。


音楽のファンであり続けながら、音楽を作るってカッコいい。


もっと聴ける耳を持ちたい。


ドップリ首まで浸かりたい。


ああ。